エッセイ270:一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は元旦にあり

投稿日:2023年1月5日

 明けましておめでとうございます。本年も、日々感じている問題意識や私見が、若干遠慮しながらお邪魔すると思います。時間の許す範囲で、お付き合いのほど宜しくお願い申しあげます。

 元日の朝早く、若水汲みをしながら意識したことがあります。2023年を“希望の芽を絶やさずに、魂を吹き込む一年にしたい”ということです。その実現のためにも、気づいたことや問題と感じたことを、議論し合うテーマとして、掘り下げては呟き続ける所存でおります。さて、私ら世代には身近な俚諺で、新年最初のエッセイの森を散策したいと思います。

一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は元旦にあり

 一年の計は元旦にあり!最近は殆んど聞かれなくなった諺の一つではないでしょうか。元旦は、元日(1月1日)の朝のことで、元朝とも言います。直訳しますと、“元日の朝に、これから一年の計画を立てるべきである”ということになりましょうか。その真意は、“物事は最初が肝心で大切。だから、始めにシッカリと計画を立てて着実に実行せよ”という戒めを表わしているのだと思います。さらに掘り下げて考えてみますと、仕事の進め方の基本であるPDCAサイクルをスパイラルアップすることに行き着きました。 

 今回、この俚諺の由来を調べてみますと、二つの説の存在が分かりました。一つは中国明代の書籍「月令広義」説、もう一つは三本の矢で有名な日本の戦国武将毛利元就説です。それらの詳細は割愛しますが、ルーツは『一年の計は春にあり』でした。それが、いつ、誰によって『一年の計は元旦にあり』となったのかは不明のようです。それ以外にも、関連するいくつかの格言がありました。その中の一つを拝借して、『一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は元旦にあり』と呟いております。ちなみに、晨は夜明けの早朝のことです。『一年の計は元旦にあり』の真意を噛みしめながら、基本は不易の要諦であり、基本の所作を当たり前に継続することが成長の原点(原理原則)であることに思いを馳せている年初二日目の私でした。

 こうやってアレコレ調べて、何故そうなのかという理由や根拠、そして由来などが分かってくると、どこか晴れ晴れしく嬉しくなるものです。そして、それらが納得レベルに達すると、前向きな姿勢で実践するようになります。さらに、そのような経験が積み重なっていくと、効果に結びつく効率的な所作が見えるようになってきます。効果に結びつく効率的所作というのは、無駄で無益な所作が何であるかが、事前に分かるようになるということです。そのことが理解できるようになれば、焦ることなく、無理しないで全力投球できるようになります。重要なことは、効果に結びつく効率化ということです。

 理由・根拠・由来などの理解は、信頼と安心のコミュニケーション実現のための重要なファクターです。しかし、現実を直視すれば、理由や根拠をキチンと言う人が少なくなってしまったように感じています。自分の考えや結果だけを一方的に話して、その理由・根拠や経緯には触れないのです。そのような状況に無関心・無自覚だけではなく、“どうしてでしょうか?”との質問に対して、“そんなことも分からないのですか!”とスルーされてしまったこともありました。本気で理解して欲しいのであれば、起承転結を意識して、結果→理由・根拠→補足の順番でコミュニケートすることが必須要件になりましょう。コミュニケーション能力の重要性が叫ばれ続けて、どれだけの年月が経ったでしょうか。一般的なハウツーを学ぶ前に、常に理由や根拠をキチンと発することを信頼と安心のコミュニケーション実現の基本のキとして意識し続けることを、これからも声を大にして申しあげたい!

 年初のエッセイは、『一年の計は元旦にあり』から二つの問題意識を呟いてみました。皆さんや皆さんと関わりのある方々の看脚下のテーマになってくれることを願っております。

    人財開発部/EDUCOいわて・学び塾 主宰 井上 和裕(2023.1.2記)

 

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