年初のエッセイ245回(2022.1.3記)では、“ホウレンソウ(報告・連絡・相談)を小まめに植えましょう”と問題提起しました。新型コロナウイルス禍は、仕事のあり方の変革のターニングポイントとなりつつありますが、このような機会にこそ、組織運営の基本をテーマとして点検することをお奨めしたいと考えたからです。また、あり方が変わったからといって、全てを変える必要も無いと考えています。不易流行の姿勢を崩すことなく、使い慣れている良いものはキチンと残しておきましょう。正しく報連相は、その一つだということが私の見解なのです。
エッセイ252回は、組織運営の核でもあるマネジメントやリーダーシップの基本の一つと考えています“啐啄同時”(そったくどうじ)を取りあげてみたいと思います。
啐啄同時のコミュニケーションを
啐啄同時の4文字熟語と出会ったのは、30年以上前まで遡ります。部下を持つマネジャー向けの目標と自己統制による管理(目標管理)面談研修を企画していた時だと記憶しております。チームメンバーに対する行動指針の一つとして“啐啄同時の突っつき合いをしよう”と呼びかけました。ところで、啐啄同時をご存知しょうか。先ず、その意味を押さえておきましょう。
啐啄同時の「啐」とは、ひな鳥が卵の殻の内側から鳴き声を発してつつくことを指します。一方、「啄」というのは、親鳥が卵の殻の外側からつつくことを言います。“それを同時に行いなさい”というのが、この言葉の意味であり、ひな鳥が「啐」をし易くするように促すのは、実は親鳥の役目なのだ、というのが真意だと思います。仏教(禅宗)では、師と悟りを開こうとする修行中の弟子との呼吸がぴったり合うことを指すようです。ここで申しあげたいのは、この啐啄同時は、雛が孵る時だけでなく、鳥の子育て法として、粛々と当たり前に行われているということなのです。そして、この啐啄同時の意図することは、企業における人材育成の真髄の一つではないか、というところにあります。チームメンバーは、一人前を目指して上長に教えを乞うでしょう。その意欲に対して、上長はメンバー一人ひとりに対して状況に応じたリーダーシップを発揮します。そのようなヒューマンリレーションが、正しく啐啄同時そのものなのです。
大切なことは、先ず、自分の未知や無知を謙虚に認めて、“○○について、もっと教えてください。お願いします”という言葉を、ハッキリと言える部下に育てることだと思います。その要請に対して上長は、部下の考え方や能力を棚卸しして、納得できる結果が出るまでシッカリと関わり合うことではないでしょうか。一人前と判断するまで、向き合い続けることです。育成課題達成には、時間を要することもあるでしょう。やり方によっては、議論し合うこともあるでしょう。いずれにしても、チームメンバーであり続けるうちは、メンバー一人ひとりの個性を尊重しながら、啐啄同時の状況対応リーダーシップを発揮して欲しいと考えております。
行き着くところは、上長自身のパーソナル・インフルエンスにつきます。何度となく取りあげてきたテーマです。また、啐啄同時の方法論は、今までのエッセイにおいて何度も触れてきたと思います。それほど重要で永遠の課題なのかもしれません。それにしても、この根本部分が等閑(なおざり)にされているように感じています。仕事のあり方を変える前に、その根本部分の実態を謙虚に点検されては如何でしょうか。これからも、“組織運営の基本的側面の課題は、優先度の高いマネジメント上のテーマではないか!”という問題意識が、消えることがありません。
人財開発部 井上 和裕(2022.2.22記)