今年のスポーツ界で、私が気になった方が何人かいます。
その中から、“平成の三四郎”こと柔道家の古賀稔彦さんに登場して頂きましょう。今年の3月に、53歳の若さで亡くなられました。今回のエッセイは、生前語った古賀さんの夢や考え方から、私が学んだこと、共感・共鳴したことを取りあげてみたいと思います。それらは、時代が変わろうとも不易な理念ではないでしょうか。早すぎるという悼む声が、あちこちから聞こえてきました。
古賀稔彦さんの考え方から学んだこと、共感・共鳴したこと
古賀稔彦さんは、1988年ソウル五輪から三大会連続でオリンピックに出場しました。その中で、古賀さんを語る上で外せないのが、1992年のバルセロナ五輪でしょうか。練習中に左ひざを負傷しました。歩くこともままならない状態での、執念の金メダル獲得だったと思います。
現役引退後は、指導者として全日本女子柔道チームの強化コーチを務めながら、町道場古賀塾を設立して、子供たちの人間形成に尽力されました。古賀稔彦公式ホームページには、シンプルな表現で古賀塾の理念が述べられています。
その中にある“古賀塾が求める柔の道とは『優しい心を育てる』人間教育です”、“『学び』に終わりはありません”の2行に心惹かれます。その理由は、私の目指す教育理念と相通じるからです。
さらに共感したことがあります。それは、古賀さんの夢です。
先ず、“世界の舞台で戦える柔道選手を一人でも多く育てること”が、一つ目の夢だそうです。もう一つ、改めて共感・共鳴した古賀さんの夢があります。“「とにかく柔道が好き」という柔道家を育てること。強い弱いにかかわらず、自分の子供が生まれても、柔道をやらせたい。そんな気持ちを持ってくれる人間を増やしたい”という夢です。古賀塾柔道場を自身の死に場所と語っていたそうですが、心から柔道を愛した古賀稔彦さんならではの本心だと感じております。
今回のエッセイは、意識して簡潔を目指しました。具体的には、3分間スピーチ原稿(ジャスト3分間で話し終える原稿)を目標に取り組んでみました。これからも、身近な目標を意識しながら呟いていこうと強く感じております。
人財開発部 井上 和裕(2021.9.1記)