※ 今年1月に作成したエッセイです。
このひと月半、年初のエッセイ以外は、ペンを執ることから遠ざかっていました。数ヵ月前から、題材が思うように浮かばなくなったのです。思い浮かばない理由は、気持ちの張りが萎えてしまったからのように感じています。年が改まって2週間、このままではやる気がズルズル後退しそうです。気持ちを奮い起こして、再開したいと思います。
再開を促してくれたのが、元プロ野球投手上原浩治さんの一言でした。ご存知の方が多いと思いますが、雑草魂で有名な上原さんは、日本とアメリカで投げ続けました。“自分をよく知ること”。きっかけとなった上原さんの一言です。ある対談の中で、アメリカでの体験で見えたことの一つとして話されたことです。さらに、“上には上がいると自覚することが大切。それへの対処は、ただ練習するしかないです”、“僕は努力に勝るものはないと思います。練習の中で自分を知り、報われるトレーニングをすればいい”と続きました。上原さんの一言は、生涯学習を旨とする私にとって、“まだまだやれる”という気概を呼び戻してくれました。そこで、何度も提起してきた“汝自身を知れ”を、改めて紐解きたいと思うに至りました。今回のエッセイは、私自身への問いかけになりそうです。お付き合いください。
汝自身を知れ & 我以外皆我師
“汝自身を知れ” 或いは“汝自らを知れ”。どなたもご存知だと思います。ギリシャのデルフォイ(デルフィ、デルポイ)にあるアポロン神殿の入口に刻まれた有名な格言です。作者はソクラテスとも言われていますが、その真偽は不明のようです。
さて、様々な解釈ができそうですが、この格言は“何を知れ”ということなのでしょうか。私見ですが、自分の考動理論・気質・能力を知ることが目的で良いと感じています。その中でも、最近意識しているのが「自分自身の無知を知れ」ということにつきます。しかし、どうしたら素直になって無知を自覚できるのか、常に頭を悩ますテーマです。謙虚な気持ちを忘れなければ、無知の知を実感できると思います。上原さんの思いからは、「自分自身の未熟な点を素直に認めなさい」と受け止めました。さらに想像力を働かせながら、ある論語の一節を思い出しております。
子曰、由、誨女知之乎、知之為知之、不知為不知、是知也
孔子が、弟子である子路に対して教え諭しました。「自分の知っていることと、知らないことを区別することが、真に知るということだ」と。日常のその姿勢こそが、成長への要諦だとつくづく感じ入っております。出会ったのは30年以上前になります。この論語の一節を、新入社員向けの自己啓発支援シート(略称SSシート)のねらいに掲載したことを思い出しました。SSシートは、自身の現状を客観的に知るために作成した点検表です。
汝自身を的確に知るために、常に意識している格言があります。それは、“我以外皆我師”です。“汝自身を知れ”と同じように、ご存知の方が多いと思います。作家吉川英治氏の造語で、氏の著書である『新書太閤記』において、「常に、接する全ての人から、必ず何か一事を学び取るということを忘れない」という表現で出ているそうです。一般的には、同じ氏の作品『宮本武蔵』の日観と武蔵の会話の場面での武蔵の言葉として引用されています。しかし、『宮本武蔵』の中では、“我以外皆我師”という形では出ていないようです。
年初に当たって、“汝自身を知れ”を紐解きながら、ある希望に辿り着きました。ありのままの姿(無知の知)を認めて努力した先に、学ぶことの楽しさが見えてくると。そう信じて、これからもコツコツ努力したいと思います。
人財開発部 井上 和裕(2021.1.15記) 【参考】エッセイ127回:心構えが変われば言動に表れる ~ 我以外皆我師也/…(2017.1.1記)