禅寺の玄関には、“看脚下”と書かれた木札が置かれていることがあります。文字通り「脚下(足下)を看ましょう」という意味だそうですが、玄関では「履物は揃えて脱ぎましょう」という意味でも使われているようです。その意味を追究していくと、「足下に注意」から「足下の乱れから直す」、「自分を見つめ直す」へと展開ができます。さらに、見つめ直すことで「自分の生き方を見失うことがない」と繋がっていきそうです。また、“あし”と“足もと”の漢字表現もいくつかあって、それぞれ微妙な違いのあることも学びました。ちなみに、“あし”は“足”と“脚”の二つ、“足もと”は“足下”・“足元”・“足許”の三つでした。今回の表記は、足と足下に統一しました。特に大きな意図はありません。
私の企画する教育機会の中で、看脚下という言葉を使って問題提起することがあります。実を申せば、その頻度は右肩上がりなのです。それも角度のある右肩上がりと言えるほどになります。主に、ホームルーム(以下、HR)の中で進めております。HRという時間割の目的、その具体的な内容は、欄外の参考資料をご覧ください。問題提起の頻度が上がっているのは、どうしても消え去ることのできない理由があるからです。ある時から日々感じ続けているその理由も含めまして、私の考えている自己啓発の定義と方途を、改めて取りあげてみたいと思います。そこから、「年一回、謙虚に看脚下しましょう」と言い続けている理由が見えてきます。先行きの見えない新型コロナウイルス禍においては、その人の生き方が問われているのです。アフターコロナのあり様を想像しながら、これからどう生きていくのかを追究しなければいけません。生き方の探求は、生涯学習の根っこなのです。
生き方の探求こそが、生涯学習テーマの基盤
やると決めたら最後まで“やり抜く力”が、少~しずつ後退していると思います。感じ始めて20年近く経ちました。いくつもの要因が絡まり合っての後退でしょうが、経営環境が変われども、職種・職能を問わず、仕事の成果に直結するのが“やり抜く力”ではないでしょうか。この考えを引っ込めるつもりはありませんから、常に問題提起するテーマになります。だからと言って、二十歳代の方々に、ストレートに問題意識を投げかけても、なかなか受け容れて頂けません。最後までやり通すことを熱く述べても、ほとんど心に沁み込んでいかないのです。共感までに至らないのです。そのような実感が、数年以上も続いた時期がありました。しかし、見て見ぬふりをしてやり過ごす訳には参りません。“やり抜く力”を主要な共通専門能力として、どうやったら共感し納得して習慣化まで持っていけるのか、常に頭を悩ませておりました。10数年前から、教育手法の三本柱の一つである『自己啓発』をテーマに、“やり抜く力”の大切さを考えてもらおうと決めました。そのために、自己啓発の定義と自己啓発の核となる進め方の土台を再構築して、教材として作り直したのです。詳細は、6年前のエッセイ70回に掲載しておりますが、定義などを復習してから、話を進めたいと思います。
★自己啓発とは? 自ら(自分自身)が、自らの力において、自らの人生をよく生き、幸福に生きるための考え方と技術の発掘。
★手法1:具現化するための基本理念は? 人生哲学(Life Philosophy)を明確にする。人生観/人間観/仕事観/会社観/社会観/管理観/座右銘 など〈私は人間としてどのように生きていくのか〉
★ 手法2:日常の行動姿勢は? 自らが、自らの責任において、自らの能力の棚卸しを定期的に行う。欠品があったら、自分で自分にムチ打って、自身の欠品を補充していくこと。
上記の定義などから、三つの主要な着眼点を意識して頂きたいのです。
先ず、手法1の“私はどのように生きていくのか”という人生哲学です。一人間として、社会の一員として、そして一企業人としての包括的なぶれることのない生き方の問題です。人生観を含む人生哲学を明確にすることは、私にとっても難しい課題ではありますが、“社会環境・生活環境が変わろうともぶれることのない人生哲学を持ちたい”と意識しております。常に頭から離れない課題なのです。正に生涯を通して探究するテーマだと思うに至りました。
二つ目の着眼点は、探究する過程において必須なステップになります。それは、自身の能力(含、考え方・考動理論)の棚卸しです。それも年一回定期的に見直すことが胆だと考えています。その年一回については、誕生日を推奨しております。誕生日にこそ相応しい儀式だと思うのです。能力や考え方を見直すことで、自分自身の本性や考え方の癖をより正確に知ることができます。長短入り混じった自分自身を客観的な目で観ることで、以降の生き方を見直すヒントが出てきます。ですから、謙虚・素直・真摯という姿勢が重要なのではないでしょうか。棚卸しで改善点を明らかにしたら、その改善点に優先順位をつけて、地道に改善努力に励むことですね。これらは看脚下の神髄であり、私自身にも言い聞かせている指針となりました。
三つ目は、主体性の問題です。自主自立というスタンスの問題です。最終責任は自分でとるという自己責任意識で、セルフコントロール(自己統制)、セルフマネジメント(自己管理)でやり抜くのです。最終的には、フットワークの問題になります。明確な目標と目標達成のための行動計画を意思決定し、目標達成に向けてコツコツこつこつ努力し続けることを指します。まさしく、今回のE森で強調したい“やり切る力”、“やり抜く力”ですね。私たちの周りには、誰彼からの評価を意識せず、牛歩であっても、自分事として努力し続けている方が、実は数多くいらっしゃいます。E森39回で申しあげておりますが、目の前の課題と相対して、人知れず地道に努力している方に注目し、これからも光を当てて支援したいと考えております。そのような皆さんの存在を忘れることなく尊敬し続けることは、私の目指す共育の一形態になりました。
“私は人間としてどのように生きていくのか”という人生哲学(Life Philosophy)を明らかにすることが、私の考える自己啓発のスタートラインになります。この人生哲学というのは、様々な経験を通して変化するものでもあります。深化もあれば、揺り戻しもあります。当然、勘違いや思い違いから再考しなければ立ち行かないこと、それ以上に迷路を彷徨うことだって何度もあるでしょう。知らないことや浅薄なことが、エベレストの高さどころか無限にありますから、この世に生を享けたからには、一人ひとりの一生涯が学び舎であり、その土台となる生き方の探求&探究こそが生涯学習の基盤でありたいと思います。その思いの比率は、“年を重ねる毎に高くなっている”と実感させられる昨今になりました。このような経緯や理由から、私の企画する教育機会のHRでは、今回取り上げた内容を問題提起し、“一人ひとりが考える、考えたことを公言する、議論しながら掘り下げて相互啓発すること”を主眼に置いて運営しております。この30年間を振り返って、HRにおけるテーマは、生涯学習の基盤を考える着眼点を意識しており、それが私の企画運営する教育機会の幹なのです。
井上 和裕(2020.4.10記)
【参考資料】エッセイ136回:いのうえ塾のオンリーワン「HR」その1・WHY(2017.2.16記)
エッセイ137回:いのうえ塾のオンリーワン「HR」その1・WHAT(2017.2.23記)
エッセイ69回:人材育成の本質を考える(2014.6.10記)
エッセイ70回:自己啓発とは(2014.6.14記)
エッセイ179回:その気になれば自己啓発教材はイッパイある(2018.11.15記)
エッセイ153回:身近な仲間の日々の努力にこそ光を(2017.10.2記)