感受性と想像力 ~ いま求められるもの

投稿日:2020年4月30日

 4月20日(月)のメモには、二種類の三文字が大きく書かれてあります。一つは感受性、もう一つが想像力です。

 その日は、全国に緊急事態宣言が出されて三日経ちました。外出自粛の要請にもかかわらず、その様相は地域・場所によって様々のようです。医療崩壊が心配される中、感染覚悟で人の命を守ろうとしている方々、地域社会の生活保全のために当たり前のように励んでいる方々が、数多くいらっしゃいます。死者数も増えています。“ウィルスは人が運ぶ”ことを自覚して、もうしばらくは危機感を持って、日々過ごす覚悟をしました。そのようなことを感じながら、二つの詩を思い出したのです。著者にお断りしておりませんが、いまこの時にこそ考えて頂きたく、紹介したいと思います。

 “相手を思う感受性の鈍さ”、“この事態にどう行動するべきかを掘り下げる想像力の欠如”に陥らないように、私自身に二つの詩を投げかけることにしたのです。想像力の羽根を思いっきり拡げて、その意図を考えていこうと強く思います。

 

     自分の感受性くらい(茨木 のり子)

   パサパサに乾いてゆく心を 

   ひとのせいにするな

   みずから水やりを怠っておいて

 

   気難しくなってきたのを

   友人のせいにするな

   しなやかさを失ったのは どちらなのか

 

   苛立つのを近親のせいにするな

   なにもかも下手だったのは

   わたくし

 

   初心消えかかるのを

   暮らしのせいにするな

   そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

   駄目なことの一切を

   時代のせいにするな

   わずかに光る尊厳の放棄

 

   自分の感受性くらい

   自分で守れ

   ばかものよ

 

 茨木のり子さんは、薬学部を卒業されています。薬剤師の大先輩になります。中桐雅夫さんの“想像力”は、第18回藤村記念歴程賞を受賞した詩集「会社の人事」に掲載されています。お二人ともに故人です。

 

            想像力(中桐 雅夫) 

        人間は二種類に分けることができる、

        紅白歌合戦を見る人、見ない人、

        飢えている人、食べ飽きている人、

        人を殺したことのある人、殺したことのない人。

 

        たいていの人は吸い飲みで水を飲んでから死ぬが、

        その暇のなかった子供たちがいる、

        南国の四月の空中に放り出され、漫画本や人形と一緒に、

        くるくるまわって地面にたたきつけられた子供たち。

 

        向こう側の国と、こちら側の国とがある、

        向こう側に妹や弟がいたら、と想像するのはおかしいか、

        肉を食べたことがない子供たちを想像するのはおかしいか、

        それほどの想像力も、きみらはもっていないのか。

 

        ぼくは自分の小さな手のつまらないしわを眺めながら、

        生きているのが恥しくなった。

           ― ベトナム二題Ⅰ ―「会社の人事 中桐雅夫詩集」より

 

 私の心に刺さった所が四か所あります。先ずは、五つの“〇〇のせいにするな”と“自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ”です。そして、“それほどの想像力も、きみらはもっていないのか”、“ぼくは自分の小さな手のつまらないしわを眺めながら、生きているのが恥しくなった”です。

 国の緊急事態宣言、都道府県の外出自粛要請は、単なるお願い事ではありません。一人ひとりの命を守るため、家族・兄弟・友人・知人・同僚・仲間・医療従事者・関係者に感染させないためであり、社会の仕組みを崩壊させないためでもあります。私は、“それほどの想像力ももっていないのか!”と言われたくありません。“ばかものよ”って、叫ばれたくありません。二つの詩が、私に気づかせてくれました。

    人財開発部 井上  和裕(2020年4月30日記)

最新の記事
アーカイブ

ページトップボタン