“恩返し”という言葉から思い浮かぶのは、私たちの年代では「鶴の恩返し」、アラフォー世代あたりではジブリアニメの「猫の恩返し」でしょうか。“誰からか受けた恩を、その人に直接返す”という意味ですね。
最近、“恩送り”という言葉を知りました。恩返しはその人に直接返すことですが、“受けた恩を直接その人に返すのではなく、別の人に送ること”が恩送りなのです。あれこれ掘り下げて考えてみれば、“恩はつなぐもの”なのだと思えてきます。恩送りも恩をつなぐことも、ある程度の年令に達したなら気づかなければいけない、人としてのあり方の根源ではないでしょうか。現在の私の姿は、多くの方々の有形無形の心遣いや支えがあっての姿なのです。私一人の力でここまで成長してきたわけではありません。お互い様、お世話様の世界で、この年まで生きてきたのです。生かされてきたのです。ですから、恩送りは人としての自然なあり方であって欲しい、一生の作法として意識していかなければいけないと感じております。
私の身の回りを見渡してみましょう。食べ物・飲み物・衣類・家具・道具・住まい・電機製品・水道・ガス・灯油・ガソリン・電気など、様々なモノがあって日々の生活が成り立っています。先ず考えられるのは、それらを作ってくれる人がいます。自作ということもありましょうが、その原材料を作ってくれる人がいますね。次に、それらをある場所から各方面に運んでくれる人がいます。売ってくれる人がいます。また、毎日ゴミを収集してくれる人、新聞を届けてくれる人、寝静まってから仕事に励んでいる人もいます。困った時に助けてくれる見ず知らずの人がいます。私の眼が行き届かないところで、予想すらできないところで、日常生活のインフラを支えてくれる人がいます。そのような方々がいて、日々の私の生活が成り立っているのです。この当たり前には、実は“有ることが難しい”ことから、一番“有り難うございます”と感謝するべきなのだと思います。何しろ「恩送り」も「恩返し」も、人から授かったことに対して感謝するべき行為なのですから。このような現実に気づいたなら、日常の考え方や行動のあり方も変わってくると思います。これらのことを、改めて気づかせてくれたのがコペル君でした。漫画「君たちはどう生きるか」(原作・吉野源三郎/漫画・羽賀翔一:マガジンハウス)のコペル君です。余談になりますが、私の孫が中学を卒業する時にプレゼントしたい一冊になりました。
尾畠春夫さんの発する言葉の一つひとつからも、恩送りの本質を教えて頂きました。今、“あなたが誇りに思う人はどなたですか?”と問われたら、イの一番に尾畠さんの名を挙げるでしょう。尾畠さんのブレない言動と実践行動力の源は、恩をつないでいくという世の中への感謝の心だと思います。純粋な気持ちの自己表現なのだと思います。尾畠さんの発する言葉には、難しい言葉や内容は見当たりません。当たり前のことを、自然体で、飾ることなく、当たり前に語っているのです。当たり前のことですから、普段よく耳にする言葉が多いと思います。しかし、私の心に強く響いてくるのです。どうして、尾畠さんの言葉が心の中にストンと入ってくるのでしょうか?
尾畠さんの発する文言には、“今までの人生を、正直に精一杯生きてきました”という誠実な思いが、あちこちに籠められているように感じるのです。聞き進んでいくと、言葉の持つ本質的な意味が染み出すように顕れてくるのです。尾畠さん自身は、そのようなことを意識していらっしゃらないと思います。ご自身の考え方を、飾ることなくストレートに表現しているだけだと思います。だからでしょうか、尾畠さんの発する一言一言には、素直に聞き入ってしまうのです。吸い込まれるような感覚で…。
尾畠さんを拝見し拝聴していると、私たちはもっともっと発する言葉に責任を持たなければいけないと感じてしまいます。発する言葉・文言に魂を籠め、キチンと意味づけをしなければいけませんね。そんな問題意識を持った方々が、もっともっと増えて欲しいと思います。本来、直接恩返しするのが筋ではありますが、生きることに精一杯であった年代では難しいのが実態です。しかし、現実的に恩返しが難しくても、恩送りはどなたにもできることです。尾畠さんの誠実な心根に、少しでも近づく努力をし続けたいと思います。
人財開発部 井上 和裕(2020.1.22記)