ラグビーワールドカップ(以下、RWC)2019日本大会が、愈々という段階に入りました。世界三大スポーツイベントであるRWCが、アジアで初めて開催されるのです。9月20日(金)から約3週間、プール戦40試合が全国12会場でキックオフされます。東北では唯一、私の仕事場でもあります釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムで2試合行われます。9月25日(水)のフィジーVSウルグアイ戦、プール戦最終日の10月13日(日)のナミビアVSカナダ戦です。10月19日(土)からは準々決勝が始まり、ファイナルは11月2日(土)という予定が組まれているようです。ジャパンがどこまで勝ち進むのか、ワクワクドキドキしながら精一杯応援したいと思います。
RWC2019日本大会の釜石開催を後押しした要因の一つが、地元住民による地道な誘致活動でした。私の勤務先である中田薬局の代表取締役社長中田義仁は、釜石誘致推進会議代表、さらに釜石開催支援連絡会副会長として関わりました。この何年間は、薬局経営者、現役薬剤師、岩手県薬剤師会常務理事、地域医療連携推進、RWC釜石誘致・開催支援など、いくつもの顔を使い分けての多忙な毎日だったと思います。中田にとりまして、この何年間がどのような期間であったのか、どのような景色が脳裏に映っているのか、少し間をおいてから拝聴したいと考えております。
釜石は『鉄と魚とラグビーの町』です。いかに地域環境が変わろうとも、ラグビーのあり方が変わろうとも、釜石を語る時に避けては通れないのが、富士製鉄釜石時代からの長い歴史を刻む釜石ラグビーなのだと思います。
さて、今回のエッセイは、蔑ろにされていると感じる学習能力、閉塞感の漂う時にこそブラッシュアプしておきたい学習能力について、私なりの思いを整理整頓して呟いてみましょう。
三日坊主、十回積み重ねればひと月分になる!
“人生七転び八起き”ではありませんが、長い人生においては、良い結果も悪い結果もあります。七回転んでも八回起き上がれば、結果八勝七敗になりましょうが、私の場合、大きく負け越しているのが実態ですね。ある時期から、“悪い結果や失敗から、いかに学ぶか”、“大失敗から、いかに立ち直るか”が、意義のある人生へのプロセスであり、肝心要の関所だと思うようになりました。それ以来、“学習効果の高い人になろう”、“謙虚に学ぶ人でいよう”と決めて、自己啓発に励んでおります。
仕事であれ、日々の生活であれ、そして人間関係においても、行動したことには、何らかの結果がついて回ります。そうなった原因が何であれ、その結果は受け容れなければいけません。ここが問題解決のスタート地点なのです。原因次第では、結果の受け容れが難しいことだってありますが、失敗した場合、その結果を素直に受け容れなければ、同じ轍を踏む可能性が高くなること間違いないでしょう。
今までの私の人生において、失敗した時のことを振り返ってみたいと思います。
自分一人だけに関わる失敗であれば、冷静になって反芻しながら、何とか素直に受け容れてその失敗から学ぶことができました。しかし、企業運営の基盤でもある分業体制(いわゆるチームワーク)においては、“言い方次第で角が立つ”ではありませんが、角が立たないように何らかの遠慮や配慮が働くものです。さらに、失敗の原因追求が進めば、だれかれの責任が明らかになってきます。また、状況次第では予期せぬ責任を問われることもあって、結果に対する批評は面と向かって指摘し難いものでもありました。だからといって、そのまま有耶無耶にして置く訳には参りません。客観的事実に基づいた的確な原因追求をしなければ、また同じような失敗を繰り返すことになります。チームにとって、大きな損失を招くだけではなく、チームに対する評価がガタ落ちになりかねません。やはり、失敗から逃げないで、目の前の失敗から学ぶ能力(いわゆる学習能力)を高めることは、意義ある人生への必須要件の一つになると思うのです。何はともあれ、働き甲斐や遣り甲斐にも影響する学習能力を、コツコツと着実に高め続けることではないでしょうか。前々回のエッセイ196回(心の筋肉を鍛えてくれるレジリエンス)で申しあげましたように、成功よりも失敗した経験を数多くお持ちの方の方が、ずっと多いと思います。そのような実態からも、失敗を教材とした学習能力を磨き上げることの必然性を感じます。
もっと掘り下げて考えてみましょう。
それは、“どのようにして失敗から学ぶのか?”という現実的なテーマについてです。その問いかけに対する私の見解はこうなります。
先ずは、“過去の失敗や失態とキチンと向き合うこと”と強く感じております。向き合うことの出発点は、失敗の都度、自分事としてキチンと悔いることです。腹を括って反省することです。受け容れるとは、自分事として向き合うことなのです。それ無しには、目の前の扉を固く閉ざしたままの状態で終わってしまうでしょう。その上で、早い段階で総括することです。総括するということは、PDCAサイクルを意識してスパイラルアップすることです。特に、C(Check)とA(Act)をしっかり押さえて、そこに至った自律要因を明らかにすることが肝になると思います。
結果をキチンと受け容れるという意味では、こんなことを振り返ってみることも信頼される大人の作法ではないでしょうか。皆さん、自分自身のせいで、どなたかに不快な思いをさせた経験はありませんか。何らかの行為で、誰かを傷つけたことがありませんでしたか。私の場合、これまでの72年間で、土中深く埋めてしまいたい失態が、いくつか記憶の底に残っております。自覚していない失態だってあるはずですから、かなりの数に達しているのかもしれません。それらの中には、何年、何十年という時を経ても、忘れてはいけないものがあります。キチンと向き合って総括しても、消し去ることができずにいるものもありますし、それ以上に消し去ってはいけないものもありそうです。そのような場合、どうしたら良いのでしょうか。
例えば、誰かを傷つけたのなら、言葉を尽くしてキチンと謝ることです。謝る行為は、“直ぐに”がキーポイントになります。振り返れば、謝るタイミングを失したままの状態にしていることがあるのも実態かもしれません。同じ失態(失敗)を繰り返さないためには、繰り返さない努力を積み重ねるしかありません。繰り返さないための心の備えをすることが求められます。積み重ねと備えは、長い時を経て、周囲に対して、目に見えない好影響を及ぼしてくれるような気がしております。年を重ねて、繰り返さないための懸命な努力は、過去の失態(失敗)とキチンと向き合った証しであることが分かるようになりました。
今回、学習能力について呟こうという思いが溢れてきたのは、同じような情けない問題が相も変わらず頻発していること、行動の伴わないスローガンが長い年月叫ばれていること、そのような実態にウンザリしているからです。頻発している企業不祥事、呆れ果てる政治家の失言・失態、業界の茹でガエル現象、…… その実例には事欠きません。日々何を学んでいるのかと……。
もう一つは、“人の成長は、理不尽を知って強くなれる”、“逆境は成長の教材になる”という自意識からです。それは、私なりの学習成果の産物であり、だから失敗しても起き上がって前へ進む頻度が高くなったのです。最近では、“転んだまま見る景色も良いもんだ”と思えるようになりました。今まで見えなかったものが見えてくるのです。
やはり、何回転んでも起き上がることです。三日坊主で構わないから、三日坊主を何回も繰り返すことです。三日坊主も、十回積み重ねるとひと月分になります。こうやって見方を変えると、仕事の進め方の基本中の基本であるPDCAサイクルをスパイラルアップし続けることが、学習効果の高い人財への王道のような気がしております。
謙虚になれば、学習能力は身に付くものだと思えるのです。
(2019.9.18記)