新しい年号『令和』になりました。だからと言う訳ではありませんが、心のどこかに“いつもの風情とは一味違ったエッセイにしようか”という気配が漂い始めております。
何年も前から密かに抱き続けている疑問に対して、一言二言、場合によっては三言も四言も、ブツブツ独り言を書き連ねてみたくなったのです。この20年間、いやそれ以前から、誰もが当たり前のように追い求めている「便利さ」「分かり易さ」「直ぐに役立つこと」に対する、チョットばかりの“それでホントに良いのだろうか?”、という懸念から発せられる独白がテーマになりそうです。全て私の見解になりますから、興味が持てなかったり、偏った見方と感じられたりで、読む気が起きないようでしたら素通りしてください。老婆心からの勝手な言い分で恐縮です。その場合は、“ゴメンナサイ”と言うしかありませんが…。
ブツブツ独り言 … 便利さのメリット、デメリット
私の人生を80年とすれば、一生を24時間にした人生時計は22時に差し掛かろうとしております。私の中では先が見えていますから、世の中の変化に対しては泰然自若とまではいかないまでも、無頓着により近い状態だと思います。だからと言って知らん振りするでもなく、これからの世の中のことを少しは気にしながら、あと1時間半は問題意識を働かせていたい心境でおります。
便利さの追求は、人間の基本的欲求の一つなのでしょうか?あるいは、グローバル経済競争に勝つためには、生き残りのために避けては通れない道なのでしょうか?
貪欲なほどのその欲求は、数多くの便利・便宜・便益・至便・利便をもたらしています。戦後の日本における生活の質的向上は、ひとえに豊かさや便利さ猛追のキャッチアップの産物だったと思えてきます。その便利さ追求を公言した一例が、米国生まれのコンビニエンスストア(以下、CVS)でした。昭和49年(1974年)5月中旬、当時は陸の孤島と呼ばれていた東京都江東区豊洲に、日本初のCVSがオープンしました。セブンイレブン1号店です。営業時間は朝7時から夜11時、“近くて便利”のキャッチフレーズは、今でも頭のどこかに残っています。それから何年かして情報化時代が幕開けし、企業間競争は新たなステージへと向かったのです。競争の実態は、先取りを競うスピード競争であり、今でも熾烈な顧客への利便性競争・価格競争が続いると思います。最近では、その範囲がヒトとモノへと拡がり、さらにはヒトとモノだけではなく、システム・場所・データなど、あらゆるコトがインターネットを通して融合するIoEという概念へと進展しました。ICTのさらなる進展が、その担い手であり核として君臨しており、AIの登場は利便性追求競争だけではなく、仕事のあり方を抜本的に変えようとしています。
一方で、旧人類の老婆心からのような気もしますが、便利さが良いこと尽くめとは思えないのです。便利さから少し距離を置いて俯瞰すれば、場合によっては人間の能力を麻痺させる魔物になりかねないような気がします。便利さの恩恵を享受ながらも、便利さから失われてしまいそうな大切なものの存在が、どうしても気になってしまうのです。見方を変えると、不便さによる恩恵だってあるのではないかと … 。私自身が一番輝いていた時代と今とでは、仕事のあり方、手段・ツール、問題・課題の背景、そして生き方や仕事観・管理観までもが大きく異なります。ですから、良し悪しの問題としてではなく、現象面の単純な比較をするのでもなく、精一杯努力して今を生きる一人として、便利さについて考えて掘り下げて辿り着いた今の私の考えを、ブツブツと呟いてみたいと感じているのです。
20歳前半の方々と交流する時に感じることがあります。ICT操作能力、ICT活用能力は全く敵いません。スマホ一つで、ジャンルを問わず知りたい情報を、簡単にリアルタイムにゲットしてしまうのです。情報検索はもちろん、コミュニケーションも買物も、いくつものアプリを駆使して、その場で遠隔マネジメントしているのです。今の中高生にとって、スマホもタブレットも文具であり、辞書・辞典も含めた知識の在処であり、使いこなしながらルールやリスクまでも学ぶのだそうです。それが当たり前の行動習慣・思考習慣になっていますから、全く歯が立たないのは当然なのだと思います。あくまでも私の場合ですが…。
そんな実態を認めながら、“だからなのだろうか ……”と、ついつい心配してしまうことがあるのです。それも、“私が同世代の時はどうであったろうか ……”ということを可能な限り思い起こしながらの心配事であり、若い方々との研修会や勉強会、薬学生の採用面接など、私の本業を通して感じている心配事なのです。頭のどこかで“時代遅れの化石的見解になりはしまいか… ”と危惧しながらも、便利さの裏で失っているものの存在が、頭の何割かを占めています。
心配事の一つが、便利さに寄りかかって、知らず知らずの内に自身の頭と五感で考えなくなることです。知りたいことのほとんどは、インターネットを通して、その場で直ぐに入手できます。20年前には考えられなかったことです。もう一つの心配事は、その結果として思考停止状態になっていること、思考停止のもたらす弊害などに問題意識が働いていないことです。気づきの機会も奪っているような気がします。常に問いかけていることですが、共通専門能力の中核でもある問題解決の思考プロセスが錆ついてしまうことが気がかりなのです。
物品購入にも言えることです。インターネット販売は、経費を省いてパフォーマンス・バイ・コスト(品質対価格比)を高めることで成り立っています。しかし、私のような旧人類のアナログ人間には、購入画面に辿り着くまでが一苦労なのです。ネットを利用して不良品に出会ったことが何度かありましたから、店頭で直接購入するようになりました。ごくまれに利用しますが、品質に間違いないという確信を持てる商品、ネットでしか入手できない必要品のみにしています。店頭購入は、“五感を使って考える”、“比較して気づく”、“新たな発見がある”など、頭の錆止め効果にもなります。昭和世代には、ウインドウショッピングという楽しみ方だってありました。
また、入手した知識や情報は、その人の理解力や問題意識の範囲で正しいと信じて借用することになります。そこにも落とし穴があるのです。ケースバイケースでしょうが、医薬品のプロには、一歩立ち止まって、その真偽や信憑性の検証を忘れないで欲しいと感じています。
これらの懸念が今日明日の内に表面化することはないのかもしれません。杞憂で終われば良いのですが、問題発見能力・問題解決能力・行動力・判断力など、職務遂行能力が落ちてしまい、ひいては自己責任を放棄することにつながるのではないでしょうか。問題意識、想像力、感受性の低下も気になりますし、生き方を含めた倫理観の劣化はもっと気になって仕方ありません。そのボリュームは、年々少しずつアップしています。
それでは、どのように対処したら良いのかを考えてみたいと思います。
一番申し上げたいことは、何事にも共通することでしょうが、“便利さにもメリットとデメリットがある”ことを、先ずは認識して欲しいのです。さらに、メリットとデメリットは一人ひとり異なることも理解して頂きたいのです。年齢・家族構成・収入・趣味・人生キャリア・仕事環境、さらに生活環境・地域事情などの属人的要素によって、便利さのメリットとデメリットが逆転することだってあり得ましょう。視野を拡げてメリットとデメリットを総括し、その時々のそれぞれの実情に合わせてベストな選択をして最終決定することだと思います。そこに行き着くまでのプロセスこそが、自身の頭と五感を使って考える行為そのものではないでしょうか。
もう一つ認識しておかなければならないことがあります。便利さや使い勝手の良さの裏には、それを支えてくれる人やコトがあることです。そもそも世の中の仕組みも出来事も、いくつもの要素で構成されています。それも複雑に絡まり合って成り立っているのです。正に、“人は一人では生きていけないこと”を胸に張り付けて、相手のことを思いやる度量を持ち続けて判断して欲しいと思います。ですから、表面上の便利さだけで誤魔化されてはいけませんし、誤魔化してもいけません。直ぐに役立つこと、直ぐに儲かることに踊らされてもいけません。何事も、一度はイエローカードを出して、想像力と知恵を絞りだして意思決定する術を身につけておきたいと思います。
こうやって独り言を積み重ねていると、だからこそ教育の本質的意義があると強く感じてきます。もっと教育の出番があって然るべきなのです。いのうえ塾の新たな方向性が見えてきたと思います。
(2019.5.18記)