一年半ほど前になります。平成30年度の新入社員教育をゼロベースから見直すことを決意しました。ゼロベースという意味では、採用活動のあり方も、数年前に土台から再構築しております。だからといって、それで全てOKとは考えてはおりません。数年おきに見直すことは避けて通れないという認識でおります。
見直し作業のいずれもが、不易流行と温故知新の産物だったと思います。かなり強めの問題意識で人材育成の不易流行を温故知新して追究した結果、私たちが志向する本質的な考え方を具現化する方法に辿り着いたと確信しております。詳細につきましては、エッセイ160回・181回をご覧ください。
今年度は、かなりの手応えを感じた昨年度に甘んずることなく、さらに進化した人材育成策を追究したいと少々意気込んでいるのです。新たに迎える仲間(4月入社の新卒新入社員)の顔を思い浮かべながら、新入社員研修の準備を、余裕をもって、楽しみながら進めております。一年以上も前に頭の中を駆け巡った四文字熟語「不易流行」&「温故知新」は、私にとってことさら親近感があり、ハートに響く考動指針でもあります。今回のエッセイでは、「不易流行」と「温故知新」の意味を考えてみたいと思います。
「不易流行」と「温故知新」
私が組織運営のあり方を探る時に意識するのが「不易流行」と「温故知新」です。特に、一から見直す時には、結果として、そこから出発していることが多いように感じています。前文で申し上げましたが、なかたシップ(中田薬局のインターンシップ)も新入社員教育も、「不易流行」と「温故知新」から生まれたものなのです。
先ず、不易流行から考えてみましょう。
“松島や、ああ松島や、松島や”は、どなたもご存知の名句ですね。代表的俳人である松尾芭蕉が、日本三景の一つ松島(宮城県)を訪れた時に詠んだ俳句になります。芭蕉は、俳諧の本質を不易と流行の相反する二面からとらえ、根本においては一つに帰するべきものとしました。不易は千載不易です。新古を超えて(いつまでも)変わることのない永遠性のことで、俳諧の本質と位置づけています。流行は一時流行です。新しさを求めて変化を重ねていく流行性のことで、これこそが不易の本質であり、不易と流行は根本においては結合するべきものである、と説いています。
20数年前になりますが、企業経営や組織運営、人材育成や仕事の進め方にも、「不易」の側面と「流行」の側面があり、その二つは共存共栄の関係であり、両立させて誂えなければならない間柄と考えるようになりました。一言で表現すれば、「千載不易」は『基本の徹底』であり、「一時流行」は『経営環境の変化への即応』と捉えております。この二つの側面を、日々の仕事の中で当たり前に両立できる柔軟性のある組織だけが、不倒不滅・永続的繁栄という勲章を身につけることができるという考えに至ったのです。
次は、温故知新について考えてみます。
儒教の四書をご存知でしょうか。『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』です。四書の一つ『論語』は、儒教の開祖である孔子と高弟との言行録だそうです。孔子の死後、弟子たちが記録した書物なのです。その2番目の篇『為政第二』において、師の資格として“故きを温(たず)ねて新しきを知れば、以って師となるべし”と述べています。それは、歴史、先人の思想、学問を研究して、新しい見解、道理、知識を発見するようにしなさい、ということです。また、“温ねて”は“温(あたた)めて”ともいって、その場合は、以前学んだことを復習して新しい知識を得る、と解釈されているようです。
私はこのように捉えております。温故知新は、振り返って顧みることの本質ということです。
ややもすれば消極的と受け取られがちの振り返りは、原点を見つめ直す機会になるのです。何とかしたいという強い問題意識を持って故きを温ねて考察すれば、新鮮な考動指針が現れてくると思います。
(2019.3.10記)
【参考】エッセイ160回:WELCOME なかたシップへ(2018.3.18記)
エッセイ181回:人財育成は10年先(長期的視点)を見据えて誂える志事(2019.1.17記)