72才の誕生日から、ひと月ほど経ちました。30年近くも前のことになりますが、私の連れ合いが手相鑑定士に占って頂きました。家族全員の将来あれこれに関してだったようです。私については、“健康状態のこと”、“何才迄仕事を続けているか”など訊ねたそうです。
病気に関しては、“当たっていた”と言えましょうか。手術もしました。しかし、非常に大雑把な見立てでしたから、“当たるも八卦、当たらぬも八卦”的な結果だったと感じています。“仕事は72才迄続けている”との見解だったそうですが、72才を超えても楽しみながら励んでおります。
占い結果を伝え聞いた時は、笑って聞き流す程度の反応だったと思います。連れ合いは“八卦は当たる”派に近いので、病気も仕事に関しても、“当たっている”と一人悦に入っております。いずれにしても、占い結果への根拠に曖昧さを感じていますから、鵜呑みにして信じる訳には参りません。元来、私の占いに対する基本的な評価は、“当たるも八卦、当たらぬも八卦”です。私流の表現で申しあげるとすれば“(可もなし不可もなし+いいとこ取り)÷3.14”でしょうか。意味不明、優柔不断と受け取られそうですが……。
楽しみながら今でも続けている仕事の領域は、採用と社員教育(人材育成)になります。多くの会社の要請に、私の現有能力で対処できる唯一の職域だからです。そうでなければ、疾うの昔にリタイアしています。現在でも対処可能な職務遂行能力に行き着いた道程は、基本と試行錯誤の弛まざる積み重ね、もう一つは愚直なまでの自己啓発の継続であったと思い返しております。そんな30有余年の間に、プロ教育担当としてのあるべき考動指針(思考&行動指針)、それも不易の考動指針を確立できたのはいつ頃だったのか、何がきっかけでそこに至ったのか、最近になって明らかになりました。メモ記録が残っていて、数か月前に研修教材を整理していた時に出てきたのです。
今回のエッセイは、“仕事遂行上の考動指針はこれで行こう”と決めたきかっけを取りあげてみたいと思います。
私の教育担当としての転換点の一つ
ターニングポイントという表現を使いたくなる時があります。転換点、分岐点、分かれ目という意味の英語です。特に、“人生における重大な”という言葉をつけることが多いと思います。そうであれば、ターニングポイントは幾度となくあるものではないでしょう。
私のビジネスパーソン人生で、一番長い年月携わってきたのが人事教育分野の仕事です。1986年(昭和61年)10月から現在進行形で続けていますから、もう32年にもなります。今でも問題意識を働かせながら、ある程度自信を持って対処できるようになったターニングポイントとなる出来事が、メモ記録として残っていたのです。
社員数600名強の会社に新設された教育部責任者として、無我夢中の10年間を終えたあたりから、それまでの社員教育のあり方に大きな疑問を感じるようになりました。考える余裕が出てきたこと、人材育成に関する方針が変更になったことなど、いくつかの要因があったと思います。
それから数年間は、とにかく自己啓発に励みました。一から勉強し直しました。仕事遂行上参考になると思える書籍を、手当たり次第探しまくり、繰り返し読み漁りました。教育図書から著名人の著書、そして実務書など、これはと思えば積読しておきました。それらの半分以上は、今の時代にはそぐわなくなったことから処分しました。今でも手許に残している書籍は、私の決意と覚悟の証しなのです。
最終的に、“この考動指針で行こう”と決断したのは、1999年(平成11年)1月10日(日)のことでした。その日の午前9時から、NHK教育テレビ(現Eテレ)でETV40周年記念番組が生放送されました。「日本の学校・ここを変えて!21世紀に生かせ子供たちの声」という14時間番組です。多くの著名人による“私の教育論”の発表、いくつかのテーマ討論などを通して、これからの日本の教育のあり方を考える番組でした。17時50分頃から40分ほど、当時の有馬朗人(ありま あきと)文部大臣の対談がありました。どのような形式で進められたのか、もう忘れてしまいました。また、どこまで正確な記述であるか自信はありませんが、私の心に響いた文言を書き留めていたのです。有馬大臣の経験談が、教育担当としてのあり方・方向性は“これで行こう”、と後押ししてくれました。居ても立っても居られないほど、気持ちが高ぶったことを覚えています。正に、この日が私のターニングポイントとなったのです。以下、書き留めたメモの一部になります。
私は大学で教壇に立っていたが、一時間の授業をやるのに二日間準備をした。
そして、授業の前には、準備したものを見ながらロールプレイングをした。
次に、見ないで板書してやってみて授業に臨んだ。
しかし、教えっ放しだった。理解度を調べなかったのは失敗だった。
理解度については、採点に影響しないテストや口頭試問をやると良い。
授業の評価は、時々生徒にきいた方が良い。良く解ったのか、楽しかったのか。
併せて、関心度合いもきいたら良い。
また、同じ時期、どなたの考えか定かではありませんが、多大な影響を受けた着眼点があります。
『答えは一つではない』というモノの見方をしっかり教えたい。
見方は、その角度、方向によって異なる。
その理由について、お互いが出し合って考え合うことで気づかせたい。
研修などのOffJTにおける基本的あり方が固まったことで、具体的指針や方途が湧き出してきました。“早期着手”、“3カ月前準備完了”、“実施要領書の用意”、“全講義内容の暗記”(= 教材を見ないで対話する)、“ホームルームでの対話による振返り復習と口頭試問”、“理解度テストの実施”、“毎日の研修所感作成”、“アンケート実施”、“MY新聞作成”などは、その当時の問題意識から辿り着いた産物になります。
もう一つ、ある試みをスタートさせました。私が担当する教育機会(主に数日間以上の研修)のオリエンテーションで、私の考える進め方とその理由を表明することです。A4版1枚にまとめた『“WELCOME(ようこそ)”、いのうえ塾へ』(エッセイ23/2012年8月11日掲載)を使います。20分かけて、行間にも触れながら考え方の共有化を意識して進めております。平成14年から始めて、現在の『“WELCOME(ようこそ)”、いのうえ塾へ』は改訂3判になりました。
“今あること(結果)の理由や経緯(原因)は何か!”が明らかになるまでには、それなりの時間を要するものです。糸口となるのが、その当時の経緯・推移が何らかの形で残されていることも、大きなポイントになるでしょう。教材の中からヒョッコリと顔を出してくれたメモ記録に、理屈抜きに感謝しております。さらに、あれだけ追究することに没頭したことを、心から懐かしんでおります。私にとりまして、あの時の努力と試行錯誤が、仕事推進上の精神的余裕の一因になっていることも確認できました。まだまだ、否、ますます現役でいようと思います。
(2018.11.3記)