北東北の秋は急ぎ足ですね。この時期多いのが、いわゆる風邪引きさんです。油断禁物という心がけを意識して用心したいと思います。
さて、平昌オリンピック・パラリンピックから半年以上も経ちました。政治ショー的色合いが強調された感もありましたが、競技が始まってからは、結果やインタビューの応答に対して、様々な意見や感想がマスコミ報道やSNSを駆け巡りました。最近、切り抜いておいたオリパラ関連の新聞記事を取り出して、その時に感じたこと、心に響いたことを思い起こしております。
言い方いろいろ、みんなよかった
JOCのホームページによれば、平昌オリンピックは124名、同パラリンピックには38名の日本選手が出場したそうです。選手一人ひとりは、それぞれが確固たる志を持ち、その志に覚悟という魂を吹き込んで、それぞれの努力を積む重ねて臨んだオリパラと受け止めています。その形状は十人十色でしょう。詩人金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」ではありませんが、“みんなちがって、みんないい”というフレーズがピッタリだと今でも感じております。
以下、私個人が感じ、思い、教わり、気づいたことを、いくつか呟いてみたいと思います。真意は想像の域を出ません。あくまでも、私の見解となります。
何と言いましても、インタビューに対するいくつもの応答が、私自身の心構えや日々の行動のあり方を見直す機会になりました。インタビューで発する言葉や表現は一人ひとり異なりますが、みんな驕ることなく、誠実で、謙虚で、“みんないい”と強く感じた次第です。
一番目立ったのが、家族だけではなく支えてくれた方々、応援してくれた方々に対する感謝の気持ちでした。
“ここまで支えてくれたスタッフ、チームメイト、送り出してくれた会社、家族、応援してくれた方々、国民に感謝したいと思います”、“一人ではここまで来られませんでした”、“多くの人に支えていただいて、いい時も悪い時も私を認めてくれる人がいました”、“先輩たちが20年間カーリングを育ててくれたおかげで、この場に立つことができたのです”、“応援してくれた全員に有難うと言いたいです”、“たくさんの人に支えてもらって、このチームがあってのことなので、感謝の気持ちが一番強いです”、……。ほんの一例ですが、支えてくれた多くの方々への感謝の表現に、毎日聴き入っていました。オリンピック、パラリンピック全選手の思いだと感じます。
選手の皆さんは、“人は誰でも一人では生きていけないこと”、“人は人づれであること、相見互いであること”を心に刻んで、その日に備えて臨んだのでしょう。そういう考動習慣(思考習慣+行動習慣)に、何よりも心打たれました。試合直後のコメントですから、取り分け心に沁みました。
競技後の結果もいろいろです。メダリストは20名(オリ16名、パラ4名)で、4位以下の選手が圧倒的に多いのです。悔しい思いを心の内に留めておきながら、その結果をキチンと受け容れて、決して誰かのせいに、何かのせいにはしていないのです。対自競争を貫き、克己心でメンタル面を鍛えてきたからこそのコメントでしょう。
スキーという遊びに夢中な少年だったノルディックスキー複合の渡部暁斗選手は、ずるが嫌いで正々堂々を貫く人だそうです。個人ラージヒルでの金メダルを目指しましたが、君が代を歌うことが叶いませんでした。個人ノーマルヒルの約2週間前に行われたW杯白馬大会で、公式練習中に転倒して肋骨を骨折していたそうです。言い訳一つしていませんでしたね。“頂上が見えているのに、上り方がわからない …”。その無念さが、心に沁みました。
特に私の心が動いたのは、スキージャンプ伊藤有希選手の行動です。メダルを期待されながら、風に恵まれず9位に終わりました。泣いてはいましたが、泣き言が聞かれませんでした。それ以上に感じ入ったのが、銅メダルが確定した高梨紗羅選手の2回目のジャンプ後に、真っ先に駆け寄って思い切り抱き寄せて祝福していたことです。ゴーグル越しに、高梨選手の瞳が潤んでいることが分かりました。4年前のソチ五輪では、金メダル絶対確実と期待されながら4位に沈んで呆然とする高梨選手に対して、その内容は分りませんが、伊藤選手は肩を抱いて何か語りかけていましたね。高梨選手の目からは、大粒の涙がこぼれ始めました。その光景も思い出しながら、3年半後の冬季北京五輪での二人に思いを馳せています。
ノルディックスキー距離男子10kmクラシカル立位の新田佳浩選手は、スタート直後に転倒しました。長野五輪から6大会連続で大舞台を戦ってきたレジェンドは、冷静なレース運びで最後に勝ち切るレースに徹して、子供の首にかけたかった金メダルを掴んだのです。レース後のインタビューでは、ここまで支えてくれた方々への感謝の言葉に終始していました。特に、家族との絆と練習環境を整えてくれた荒井秀樹監督、そして所属企業への強い思いを感じました。
パラリンピックでは、支えるスタッフが多岐にわたっていることも知りました。
スキー距離競争では、実走行タイムに障害によって設定された係数をかけて最終順位が決定されます。つまりレース中の順位の把握が非常に難しいのです。そこで、競技中の順位を瞬時にはじき出すタイム計測ソフト「タイムランチャー」を開発し、代表選手に無償で提供しているソフトウェア会社がありました。長野県松本市のAIDです。
1988年のソウルパラリンピックから今回まで、公式修理サービスプロバイダーとして大会をサポートしている企業があることも知りました。ドイツの総合医療福祉機器メーカー“オットーボック”です。選手村に修理センターを設け、義肢装具士、車いす技術者、溶接のスペシャリストなど20数名のサポートスタッフを派遣したそうです。雪上競技会場、アイスホッケー会場にもブースを用意して、急なアクシデントにも対応する体制を整えており、日本人スタッフも2名派遣されていたようです。選手の不安を少しでも取り除く“よろず屋”を自任して、道具修理のプロとして大会運営を支えていたのです。
人材育成という視点で大きく頷いたのが、自分の滑りを磨く求道者、滑る研究者と評されている小平奈緒選手の応答でした。日頃のインタビューもそうですが、気負いのない穏やかな温もりのある語り口に、信頼のコミュニケーションを促進するエキスのようなものを感じます。
スケートが大好きなので、きつい練習も苦ではないそうです。身体全体の仕組みを理解して、理屈にかなったフォームを追究するため、解剖学を勉強し、解剖書を持ち歩いているそうです。オランダの文化を学ぶためにオランダ留学もされました。文化といっても、何故スケートが強いのかという原点や根幹を学びたかったのだと思います。それらが結果につながると信じてのことでしょう。“勉強の目的は何か?何故学ぶのか?”を、拝聴したいと思いました。どのような言葉が返ってくるのか、興味津々というところです。
“絶対的実力がないと金メダルは取れない”というコメントからは、100%の力が出せないところがオリンピックだから、80%、90%の力でも勝つことができる備えを怠らなかったのだ、と思わされます。そして、“そうなるために多くの人に支えてもらいました”、さらに“金メダルをもらうのは名誉なことですが、どういう人生を生きていくかが大事だと思います”には、人としての本物の優しさが光り輝いていました。生き方の本質(人生観)を明らかにすることはアスリートだけのテーマではなく、ビジネスパーソンにも、市井の人間にとっても、意義ある人生への道標なのだと改めて教えて頂きました。
カーリング女子吉田知那美選手の“メダルもそうなんですが、ここまでくる過程の全てが宝物だと思います”には、問題解決のヒント、成長のヒントが詰まっていると思います。原因と結果の法則、基本の重要性(修破離の修)は不易だと再確認できました。銅メダル(結果)に至るまでの数多くの様々なプロセス(原因)は何であったのか、一つひとつ知りたくなりました。
フィギュアスケートの羽生結弦選手について触れないわけにはいきませんね。羽生選手は、昨年11月に右足を痛めてしまいました。ぶっつけ本番で挑んだショートプログラムで、最初のジャンプ4回転サルコーを決めた時には、身震いとともに自然と涙腺が緩みました。本番の数週間前まで氷上で練習できない分、余分なものは全て断って、金メダルにつながると判断したことだけを何でも勉強したそうです。セルフモチベーションとセルフコントロールで、己自身との戦いを克服したのでしょう。フリーの演技を滑り終えて、何度か「勝った」と口に出していたようです。人生をかけて臨んだ五輪連覇後のインタビューから、感謝の表現と笑顔が消えることがありませんでした。あの若さで、風格のようなものすら漂っていたと思います。支えてくれた方々への感謝は当然として、その受け答えには、並々ならぬ覚悟と業績魂が散りばめられていました。
その羽生選手を、フィギュアスケートコーチの佐藤信夫氏は、こう評しています。“そうした流れるような滑りが、高い演技構成点につながる。先天的な柔軟性に加え、地道に基礎練習を繰り返したたまものだろう。…… もちろんそういう進化は否定しないが、羽生の五輪連覇は、決して忘れてはいけない大事な原点を示してくれた”(朝日新聞「佐藤信夫の目」:2018年2月18日より)と。
オリンピック閉幕後も、競技によってはワールドカップ(以下、W杯)が続きました。
渡部暁斗選手は、2017~18年シーズンのW杯で初の総合優勝を獲得しましたね。5か月間で20もの大会に挑み続けての結果となります。W杯王者は本人自身が拘ってきたタイトルで、2度の骨折をしながらの結果ですから、最高のシーズンになったと想像できます。
高木美帆選手は、全6大会で行われたスピードスケートW杯で、女子全種目の総合得点でトップとなり、日本勢では初めての総合優勝を果たしました。高いレベルで4種目(500㍍、1000㍍、1500㍍、3000㍍)の距離を滑らないと獲得できないタイトルです。オールラウンダーへの憧れが強かった高木選手にとって、オリンピックとは別景色のタイトルになったと思います。
未勝利が続き苦しんでいたスキージャンプの高梨紗羅選手は、3月24日の第14戦で個人通算54勝目を挙げました。男女を通じてW杯歴代単独最多記録で、6年前に初勝利を飾ってから個人戦通算104試合目の快挙となります。時々刻々変化する風の方向と強さが飛距離に大きく影響する競技であることから、通算勝利数の最多記録は、オリンピックよりも高みの世界に辿り着いたのだと思わされます。正にコツコツと積み重ねた努力の賜物ではないでしょうか。
これらの朗報から、オリンピックのメダル以上の価値を感じました。さらに、小さな積み重ねを継続することの重要性を改めて実感した気がします。
とにかく、アスリートの凄さとスポーツの素晴らしさから感じたこと、気づいたこと、教わったことがいっぱいあって、自分自身のあり方を見直すきっかけとなりました。選手たちの歩んできた道を特別視するのではなく、一人の人間としてみることで、教わったことを掘り下げることができたように思います。その中で、私にとっての一番の収穫は、克己心でセルフモティベーションし、日々セルフコントロールしながら基礎能力を磨きあげる、実力を磨き続けることが、自己啓発の本質であることの確信です。ちょうど冬季オリパラの期間は、採用活動や新卒新入社員教育の準備で手一杯の時期で、体調もすっきりせずに精神面でも弱気虫が顔を出していました。そんな状態の時の選手たちの声は、弱っていた私の心的エンジンの点火剤となって、前向きな行動姿勢を促してくれたのです。私の背中を軽く押して、“まだまだ努力し続けよう”という思いを呼び戻してくれました。
それにしても選手たちの十人十色のコメントは、“みんなちがって、みんなよかった”!
(2018.9.28記)