今回は9年前に呟いたエッセイのリメイク版となります。
2009年の立春も過ぎた2月のある日、国語辞典と睨(にら)めっこしながら、「○言」という言葉を調べたことがありました。いつの間にか夢中になり、70語以上も確認できました。一つひとつの意味を書き出して比較すると、あることに気づいたのです。同義語として括ることができそうなのです。あってはならない○言、戒めなければならない○言、気をつけて発しなければならない○言、もっと発しなければならない○言、…… 様々な○言がありました。
併せて、それら意味を意識しながら、私の人生を振り返ってみたことも思い出されます。赤面、青面、… 反省しなければならない○言が、記憶の中にしっかりと残っていました。その事実をキチンと認識しながら、人間同士のコミュニケーションの多くは、共通語である言葉を媒介として成立していることにも気づかされます。そんなことが少しでも理解できれば、言葉の使い方、口のきき方も、相手のことも考えてから発することができると思います。良好なコミュニケーション実現のあり方を考えるきっかけになったことは、思ってもみなかった収穫でした。
箴言・提言・切言・善言、失言・暴言・放言、… ○言いろいろ
暴言・侮言・雑言・讒(ざん)言・誣(ぶ)言、これらは、絶対に慎まなければならない言動ですね。
流言・造言・空言(そらごと)・虚言・戯言(たわごと)・妄言は、“根拠のないうわさ、デマ”とか“偽り、うその言葉”という意味になります。意味が似通っている兄弟言葉の数の多さから、人間の心の中が透けて見えてきます。狂言も同類項と言っていいでしょう。“偽り”に関する言葉が、こんなに数多く存在するのかと思うと、ゾッとします。これらも、慎まなければいけない言動になります。それまで築いた信頼関係が瓦礫と化してしまう言葉に、食言というのがあります。
広言・高言・大言も巧言も、傍から観ればみっともなく、場合によっては耐えられなくなります。その人の品性そのものが現れてきそうです。
それぞれの言葉の意味を調べてみると、無責任な発言となる放言や、うっかり発言の失言は、まだ可愛らしくみえてしまいますが、政治家や名を成した有名人がやってはいけません。本音は聞きたくないのが繰言・泣言ですが、聞いているだけで相手の心が晴れる場合もあるので、時間に余裕があれば奉仕の精神を発揮していることにもなりそうです。
名言・金言・格言・箴言は、人生における方向性を示してくれる言葉です。私たちの心の必活お助け人の役目を果たしてくれます。教育担当にとっては、話材として活用させて頂く機会が多いこともあって、私の本棚には何冊かの名言・格言集が常備されています。
20年近く前の転職を機に、心に決めた優先度の高い行動指針があります。それは、発言・宣言・公言・提言などです。。進言・諫(かん)言・直言も、状況に応じて率直に申しあげることにしました。苦言・痛言も厭わない覚悟でしたね。また、心を尽くした切言・忠言・助言も、同じ位置づけにして意識するようにしました。
仕事を誠実に遂行するに当たっては、確言・明言・極言・揚言はもとより、換言・詳言・約言・略言にも気を配るようになりました。場合によっては、断言・曲言・寸言を駆使するように心がけたと思います。当然、善言となるような言葉を考えながら選ぶことが、いかなる場合にも前提としなければなりません。
一方で、甘言・贅(ぜい)言・妖言にならないよう、常に気をつけております。また、なかなか難しいのですが、売り言葉と買い言葉は封印するようにしています。感情的な対処法では、解決の糸口が途絶えかねませんから。
それ以外にも、たくさんの○言に出会いました。
国文法の概念としての体言・用言を初めとして、謹言・祝言・通言・方言、一言・千言・万言・俗言、不言・有言に付言・前言・後言・独り言、証言・代言・遺言、綸言、……… 。そうそう、予言というのもありました。その予言、狭義ではキリスト教の神のお告げをさし、預言とも言われているそうです。
まだまだありそうな気もしますが、新たな○言に出会いましたら追加したいと思います。
根をつめてまとめていたら、チョッピリお疲れモードになってきました。譫言(うわごと)にならぬよう、このあたりでペンを置くことにしましょう。
そうそう、どなたが発せられたのか不明ですが、こんな箴言もありました。薬や病という言葉に敏感な私ですが、そんなこととは関係なく納得できる戒めの言葉です。
「苦言は薬なり、甘言は病なり」
(2018.5.10記)