エッセイ144:競争の原点は、対自競争に克つこと

投稿日:2017年9月5日

 克己という言葉とその意味を知ったのは、確か40才前後でした。勤務していたTK販売のマネジャー研修において、当時のY社長が講話の中で引用された「克己復礼」だったと思います。
 販売会社においては、営業担当者が過半数を優に超えます。競合する同業他社との様々な競争、同じ営業担当同士との競争が当たり前の世界でした。競争といっても、自社のシェア拡大を目指す対他競争に明け暮れる毎日なのです。そんな中で知り得た克己の響きと意味は、目から鱗の感覚だったと記憶しております。皆がそうであるように、(かなりの)ストレスを感じる営業という仕事に対する考え方が、大きく変わったと思います。営業担当者の宿命である対他競争に対して、少しはおおらかに臨むことができるようになりました。
 今回のエッセイでは、克己について考えてみたいと思います。
 余談になりますが、上記のような経緯を辿った結果の一つとして、「患者とのコミュニケーションの基本」という教材の本質的土台が、育まれたように感じています。

競争の原点は、対自競争に克つこと 

 克己の意味を調べますと、“(意志の力で)自分のためにならない欲望や邪念を抑え、それにうちかつこと”、“意志の力で、自分の衝動・欲望・感情などを抑えること”、“己にうちかつこと”などと出てきます。類似語に、自制(自己抑制)がありました。
 私はシンプルに“己(自分自身)に克つ(勝つ)こと”と表現した上で、その真意を話すようにしています。営業担当者の商談ロールプレイングのコメントで、有名な哲学者の見解を紹介することもあります。古代ギリシャの哲学者ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師にあたるプラトンの言う、『克己は人間がかちとる勝利の中で、もっとも偉大な勝利である』です。

 どのような種類の仕事でもスポーツでも、学びの場、研究の場でも、多くの競争相手がいて、それぞれの世界の規範や規則の中で、その範囲を逸脱することなく正々堂々と腕前を競い合うことが基本原則です。程度の差はあると思いますが、同じ土俵の上で、優劣や順位を競い争うことになります。それは、対他競争の渦中で切磋琢磨することを意味しています。
 私たちの日常は、その対他競争に勝つことが一つの目標ではありますが、相手の腕前を上回る心技体、ノウハウ、計画、道具、準備がなければ目標をクリアすることはできません。何らかのアクシデントによる予期せぬ勝ち負けは存在するでしょうが、結局は、“日々の鍛錬の積み重ねで勝負が決まってしまう”と肚を据えてかかることが大前提だと思います。
 実は、ここが一番難しい、しかし一番のツボなのではないでしょうか。申しあげたいことは、自分自身との闘い、つまり対自競争なのです。何事も、自身の内面的問題に押しつぶされて心が歪んでしまっては、そこでthe ENDでしょう。己との闘いを克服しなければ、対他競争のスタートラインに立ったとしても、その結果は自ずと知れていると思います。私自身の歩んできた道を振り返ってみて、客観的に検証すれば明らかです。結局、行き着くところは克己なのです。そのことに心底気づいてから、克己心をキーワードとして使う頻度がかなり多くなりました。
 日本プロ野球界の至宝野村克也氏は、東京ヤクルトスワローズの監督時代にミーティングで言い続けたことがあります。「敵に勝つより、もっと大事なことを忘れてはいけない。常に自分をレベルアップすることを忘れるな」と。また、こんな言い方をされています。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(エッセイ133回参照)と。この二つは表裏一体で、自因自果の間柄と解しております。野村氏の本意は、“先ずは対自競争に勝ちなさい”ということではないでしょうか。
 エッセイ142回で取りあげましたが、野村氏と同じ至宝王貞治氏の一本足打法を編み出した故・荒川博巨人軍元コーチも、野球少年に語りかけたイチロー選手も、その本質は対自競争に克つこと、克己心こそが競争の原点であることを強調したいのだ、と理解しております。

 改めて、私の思いから行き着いたお気に入りの公式に再登場願いましょう。
       成果・成長=根気×積み重ね×継続

 成果・成長につながる三つのファクター(根気/積み重ね/継続)も、克己心が土台であって、とどのつまりが対自競争を克服することなのです。その考え方(行動理論)が成果・成長の原点であり、自分自身の体内にしっかりと丈夫な根を張っておくことが大前提の要因ではないでしょうか。年を重ねる毎に、つくづく実感させられているのです。
 現実に周りを見渡して点検すれば、思うような答え(成果・成長)が出なかった時、明らかな失敗が露呈した時、そうなった原因を、“誰か他の人のせいにしてはいないか”、“周りの環境のせいにしてはいないか”、最初から他律要因に求める傾向が気になることがあります。確かに、原因の中には他律要因は存在するでしょう。しかし、失敗の要因を誰かのせいにする、或いは何かのせいにしても始まりません。出口は見えてきません。先ずは自律要因から対処しなければ、手の打ちようも限られてくるのです。
 もう一つ気がかりなことがあります。
 同様に、私たちの周りを見渡せば、“継続・積み重ねなどの真っ当な努力が置き去りにされていませんか!!”という、超がつくほどの強い問題意識です。もう20年近くも前から感じ続けています。
 ある時から、私自身の心をセルフコントロールしながら、時間を要してもコツコツと努力するしかないと決めました。難しいテーマではありますが、時には我慢を強いながらも心の鍛錬を繰り返すことで、悔いの少ない残りの人生にしたいとつくづく思っているのです。
                                                                   (2017.6.7記)

*参照:エッセイ132回「成長への道筋は、いかにして行動の継続を維持し続けるか(2017.4.24)」から

 ここからは、“いかにして行動の継続を維持し続けるか”についての私見になります。
 このテーマも特効薬はありません。一言、根気(或いは、気力)という心の姿勢です。克己心と自己責任意識で持ち続けることです。
 (中略)
 こう考えてきますと、いかにして対自競争を克服するか、にかかってきますね。私の70年間を振り返って、私自身が納得できる対自競争に打ち克つ方程式があるとすれば、以下のような結論になります。
 “目の前のことを一所懸命やりましょう”、“目の前の課題から逃げないで誠実に対処しましょう”という、当たり前の行動姿勢です。一所懸命も誠実も、誰にでもやれることです。そうすれば、結果が何であれ、悔いが残らない可能性が高くなります。鍛練というのも、一所懸命やり続けることであり、誠実に対処し続けることだ、と確信できるのです。
 私は、そんな毎日の地味な基本の積み重ねを、一生涯続けていくことにしております。

 

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