エッセイ141回では、常に意識している私の行動指針“偉大な教師は心に火をつける”について考えてみました。「19世紀の英国の哲学者・教育学者ウィリアム・アーサー・ワードの至言です」と、過去のつぶやきエッセイでも紹介しております。
今回、ウィリアム・アーサー・ワード(或いは、ウォード)について改めて調べてみると、出身国も生存時期も別の記述を見つけました。米国ルイジアナ州出身で1921年に生を享け1994年に亡くなられたこと、職業もいくつかの説があって、牧師、著述業、教育家ともいわれているようです。どちらが正しいのかは不明(今回のデータに分がありそう)のままですが、“偉大な教師は心に火をつける”以外のワードの至言にも出会いました。私にとっては、納得できる名言です。機会を改めて取りあげたいと思います。
その141回の前文では、「教師という表現を、教育担当、人事担当、部下を持つマネジャーなどに置き換えて、人材育成が主要任務の方々の不易の心構え、或いは自戒・自省の行動指針として引用していること」を付け加えました。最近とみに、“心に火をつける”という意味が、組織運営や人材育成においてはもちろん、芸術文化、スポーツの世界など全ての分野のリーダーに共通する重要な要件だと感じております。今回のエッセイでは、そのように感じる事例として“心に火をつける”を考えてみたくなりました。そう考えながら、綾小路きみまろ調の“あれから50年…”ではありませんが、ほぼ50年前のあることを思い出しております。一昨年傘寿を迎えられました、当時の私たちの恩師のピュアな宣言です。
指揮者は、演奏家と聴衆への情熱の火つけ役でなければならない
1967年(昭和42年)の私は、東京薬科大学薬学部薬学科の3年生でした。部活動は、部員数100名を誇る学内最大会派の東京薬科大学合唱団(以下、東薬合唱団)に所属しておりました。
月火水木金土の午前は講義、昼食後の30分間は部活のパート練習、午後は講義或いは実験と部活に明け暮れていました。日曜日は何らかの部活の行事がありましたから、年中ほぼ無休の毎日だったことになります。周りからしてみれば、〝馬鹿〟という愛称(?)がつくほどの合唱&合唱団大好き人間の集まりだった、と回想しております。
その年の11月17日(金)からは、執行部の一員として、良い音楽を探求したいという純な志を前面に押し出しての新体制がスタートしました。率先垂範、試行錯誤、沈思黙考、不言実行、……。不安と手探り状態の中で、思い返して評すれば不器用ながらも生真面目な日々が続きました。それは、100名を超す大所帯の組織運営の難しさにもがき苦しみながらも、一人ひとりが自己責任を果たそうと行動していた姿でした。そんな未熟ながらも一所懸命な私たちは、新指導者をお迎えすることになりました。武蔵野音楽大学大学院卒の声楽家・指揮者で32歳の早川史郎先生です。
先ず、早川先生の簡単なプロフィールを紹介させて頂きます。当時は、東京都内の女子高の教員でした。その後は、童謡の作曲、幼児音楽教育の道に進まれて、聖徳大学、東洋英和女学院大学などの教授を歴任されました。その間、NHK教育テレビの小学1年生向け番組「わんつー・ドン」において、4年間(1992年~1995年)“リズムの史郎おじさん”として出演されています。また、今年の『寛仁親王牌童謡こどもの歌コンクール』(童謡を歌い継ぐ歴史的コンクール)グランプリ大会では、審査委員長を務められました。(今第31回大会には2,600組が参加)現在、日本童謡協会理事、作曲、執筆など精力的な活動を続けていらっしゃいます。
今回のエッセイで紹介したいのは、当時の東薬合唱団の機関誌「ハーモニー」への寄稿記事(特集「音楽性・クラブ性」)です。「東薬合唱団の皆様へ」と題した早川先生からのメッセージは、 “初めて聴いた第11回定期演奏会の率直な感想”から始まって、“先生の目指したい合唱音楽の方向性と実現可能性”、“東薬合唱団員への思い”、そして“より優れた合唱団へと発展させるために感じている責任感、期待感”などが、約4,300字も敷き詰められていました。そして、指揮者の役目として、こう結んでいるのです。
“指揮者は、演奏者と聴衆への情熱の火つけ役でなければならない”…… と。
その当時、その思いをどれだけ意識していたか、理解できていたのか、私の記憶には残っておりません。ただ、先生と一緒になって、良い音楽を追求しようという気持ちで練習に励んだことは、今でも自信を持って言い切れます。卒業してからは、私の心のどこかに、“情熱の火つけ役…”という文言が焼き付いていたのだと思います。それは、ワードの“… 偉大な教師は心に火をつける”に出会って、私の心が即反応したことで明らかなのです。
こんなこともありました。翌年(昭和43年)11月8日(金)の第12回定期演奏会の3~4か月前、先生はご自身のスケジュール手帳を差し出して、こう言われました。“11月8日までの練習日程を全て記入してください。11月8日までは、君たちが決めたその日程を最優先にします。…… ”と。第12回定期演奏会は、私たち最上級生はもちろん、先生にとっても1年間の集大成の発表の場であり、正に演奏者(東薬合唱団員)と聴衆(約1,800名動員)への情熱の火つけ役であったかを問われる場なのです。早川先生の“共に”という意思表示に、私たちの心の火はさらに燃え上がったのでした。
もうお一方、紹介させてください。
北欧のマエストロと称されるカール・ホグセット(75才)さんです。現役の合唱指揮者、そして声楽家(カウンター・テナー)でもあります。母国ノルウェーで合唱団を創立し、数々の国際コンクールで優勝に導いていらっしゃいます。
2016年11月20日(日)、27日(日)のNHK・BS1で「奇跡のレッスン 世界の最強コーチと子どもたち『合唱』」がオンエアされました。ホグセットさんが、臨時コーチとして東京都杉並区立杉並和泉学園混声合唱部(中学生)を指導されたドキュメントです。小中一貫校の杉並和泉学園合唱部員は18名(男子3名、女子15名)で、昨年のNHK合唱コンクールでは予選落ちしているレベルの合唱団です。
1週間の指導でした。その中で、ホグセットさんの発する言葉と接する態度・姿勢から、人材育成の普遍的なあり方を学びました。その土台が、“聞いている人の心を動かす”というホグセットさんの音楽観です。それは、ワードの“偉大な教師は心に火をつける”、早川先生の“指揮者は、演奏者と聴衆への情熱の火つけ役でなければならない”と同義だと直感しました。
番組で紹介されたホグセットさんの語りを紡いでみましょう。
先ず、合唱の目的についてです。それは、“観客の心を動かすのがゴール”、“目指すのは、聴いている人の心を動かす歌”であることです。そして、目的実現に至るプロセスとして、“合唱指揮者は火をつける人でなければいけません。エネルギーを送ることで、一人ひとりの心の中に大きな炎が燃え上がるのです”と。さらに“一人ひとりの心が燃え上がったとき、その火が一つの大きな炎となって、合唱として私に返ってくる。その時初めて、音楽が観客の心に届くのです”と続きます。また、今回の指導を通して子供たちに伝えたいことを、シンプルに表現されていました。それは、“音楽のすばらしさ”であり、“歌うことを通して、曲の豊かな響きやメロディ、歌詞の意味を伝えたい。音楽が持つエネルギーや愛を感じて欲しい”ということなのです。
“心に火をつける”も“情熱の火つけ役”も、そして“聴いている人の心を動かす”も、“自発的やる気を喚起すること”ではないでしょうか。そこに行き着きました。人生経験を積み重ねる毎に、このような考え方が理解できるようになりました。共感できるようになりました。さらに、これらの指針とその真意を、後輩にキチンと問いかける行動を継続していかなければいけません。等身大で良いから、これからもコツコツ積み重ねていきます。
余談になりますが、50年前の早川先生との出会いから学んだこと、ホグセットさんと18名の中学合唱部員から学んだことが、エッセイ141回の本文執筆を後押ししてくれたと思います。
(2017.5.28記)