毎年頂く年賀状の扱い方は、年を重ねるたびに、少しずつ変わってきたように思います。
その内容を拝見し拝読しながら、ちょっと立ち止まっては、お一人お一人の今を考えるようになりました。余白に記された控えめな一言二言の文言から、緩やかにではありますが、想像の翼を広げるようになったと思います。心の余裕が増したからでしょうか。関心の在処の変化でしょうか。はたまた、(長く生きてきたからこそ味わうことができる)積み重ねてきた大切な交流への愛着のようなものでしょうか。“後顧の憂い無きように”を意識しての身支度のようにも思えます。
縦15cm弱、横10cmの年賀状で、宛名であれ、挨拶・お礼・近況・気遣い・誓いであれ、私の想像力を一番掻き立ててくれるが、最近では味わうことが少なくなった自筆の筆致であり筆蹟なのです。その方の懐かしい姿と声、個性溢れる一挙一動を呼び覚ましてくるのです。
自分自身の身近な過去から、当時を懐かしんだり偲んでみることも、時と場合によって、抱えているストレスをかき消してくれることだってあります。“たまには、そんなひと時があっても良いではないか!”と、素直に言えるようになりました。その様な感覚は、自分事で精一杯だった弱輩の時代には気づかなかったと思います。過去を懐かしむだけの事態は、意識して避けていたような時期もありましたから。
私にとりまして、チョッピリ振り返ることが定番となった1月のある日、10年以上もつぶやき続けているエッセイから頂いたご褒美をかみ締めることにしました。
つぶやきエッセイからの贈り物
それが重要であるかどうかに関係なく、あやふやなこと、曖昧なことは、可能な限り調べるようになりました。いま考えつくエッセイから頂戴した贈り物の一つです。
言葉の正しい読み方は当たり前として、その意味や成り立ち、人名であれば(特に)読み方と経歴、事件や出来事となると背景やあらましから始まって、事実を知るための関連する情報や周辺知識も追いかけて調べこともあります。専門知識や専門用語の場合、理解できるようになるまでには、思いのほか時間を要するものです。業績魂と使命感、そして忍耐力で乗り越えるしかありません。
身近な言葉でも、国語辞典を丹念にめくることで、より適切な表現言葉に出会うようになりました。間違った解釈をしていた言葉も、恥ずかしながら数知れません。恥かしさから生まれてくる自尊感情が、キチンと調べる行為を促しているのでしょう。
引用する場合には、出典情報元も掲載するように心がけております。当り前の当然の作法なのですが、20年ほど前までは無神経でした。
情報の在処探しには、今でも苦労しております。どうしても入手できない場合には、図書館を利用するようになります。通い詰めたこともありました。余談ですが、廃版になる書籍が多いことから、その時点で必要性を感じなくても、一行だけでも“これは…”と思った場合には、購入するようになりました。そこから積読が始まりまったのです。今でも、常時30冊を下りません。
一つのことを調べることによって、必ずといっていいほど新たな知識と出会うのです。知識の増幅感を感じます。ある知識から新たな知識が増産(or増殖)され続ける感覚でしょうか。歴史上だけではなく、現在活躍されている未知の人物を知る機会にもなりました。昨年ノーベル医学生理学賞を受賞されました大村智教授を知ったのは、2年半前に遡ります。
「手抜きをしないで可能な限り丹念に調べる」ようになったのは、結局、私以外の方々に対して私の考えを呟いて問いかけることがきっかけでした。つぶやきエッセイが後押ししてくれたことになります。そして、私なりの責任感が露払いを買って出たのだと思います。
思考停止と評されることを心の底で嫌い、勘違いや間違いを恐れることなく、私自身の見解や思いを考えては練り直すようになりました。そして、キチンと公言するようになりました。幼少の頃から引っ込み思案で優柔不断な私は、自己主張をすることはほとんど無く、周りの意見に合わせて行動していました。従属的依存意識の代表選手でした。すごくやりたいことがあっても、主体的に具申して、積極的に働きかけることもありませんでした。現状を打破しようとする自主性がなかったのです。何よりも勇気が欠如していたのです。そこには、常に自信が持てない私がおりました。一方、そんな自分に苛立ちを覚え、嫌悪感イッパイのもう一人の自分がいたことも記憶に残っております。
その状況は大学に入学するまで続きました。そこから目覚めたのが30歳半ばを超えてからでした。真に卒業できたのは、50歳過ぎの転職がきっかけとなりました。私の人生において、正に画期的なエポックメーキングだったと思います。
話を続けましょう。
エッセイを呟くようになって、1話を完結するまでに要する平均時間は、優に10数時間を超えています。正確に調べたわけではありませんから根拠不足ですが、テーマ設定に始まって、ストーリーの素案作り、起稿から脱稿までの総時間は、それ以上であることに間違いありません。当然、短時間で呟き終えたエッセイもあれば、数え切れないほど練り直しては右往左往し、仕切り直しを繰り返して呟いたエッセイもかなりの比率を占めます。403回もその一つに属するでしょう。脱稿までに2ヶ月を要したエッセイ、1年半も温めていたエッセイだってありますから。
5年ほど前からは、いくら時間がかかろうとも、焦ることもなく苦も感じなくなりました。ある時期からの長年の持病でもありますセッカチ病から解放されたのでしょう。
10年以上も続けられたから気づくことでしょうが、深耕の習慣化も頂いた贈り物と感じております。これなどは、一番の贈り物かもしれません。
さらには、深耕の習慣化の産物でしょうか。念には念を入れるようになりました。エッセイに関しては、「石橋を叩いて渡る」ようにしております。だから、あやふやなこと、曖昧なことは、可能な限り調べるようになったのでしょう。そのことと、私自身の見解や思いを考えては練り直すこと、さらには深耕の習慣化とが相俟って、前提条件の捉え方がより幅広くより深くなったことがあげられます。
特に、もう5年近く前になります東日本大震災の経験は、前提条件の捉え方に大きな教訓を指し示してくれました。日常の仕事のあり方を鑑みても、いかに想定外が多いことに愕然とさせられます。“甘い”という一言で片付けては思考停止と揶揄されるでしょう。「想定外=出来ない言い訳」と定めて、全知全能を動員して事前準備を怠らないようにしなければなりません。“咽喉元過ぎれば熱さを忘れる”は想定内と位置づけて、“だから、何を何故どのように対処するのか”が、ルーティーンの思考習慣となりました。
この指針も、つぶやきエッセイからの贈り物と思えてきたのでした。
(2016.1.23記)