エッセイ95:甲子園球場の土を持ち帰らなかった花巻東ナイン

投稿日:2015年9月5日

 8月は、この時期にこそ考えなければならないテーマ、考えるために知っておかなければならないテーマが、目白押しの月です。そして、それらの多くは非常に重たいテーマになります。ポツダム宣言受諾、第二次世界大戦(太平洋戦争)終結、広島・長崎の原爆被曝、日航ジャンボ機墜落事故(御巣鷹山) ・・・・・・ 。
 夏休みは、このような重いテーマを知るために、そしてキチンと向き合って考えるために存在しているような気がします。その本質を知り、核心に迫って考えるために、長い期間が付与されているのではないかと思えてきます。
 また、地球温暖化の影響でしょうか。異常気象への対処や熱中症などの体調管理にも気を遣わなければならない毎日が続いています。
 一方、夏の風物詩として定着した全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)は、今年で百年の歴史を刻みました。その節目の第97回大会は、神奈川県代表の東海大相模高校が二度目の優勝を果たしたのでした。
 余談ですが、岩手県代表チームが神奈川県勢と対戦したのは、過去に6度あったとのことです。常に優勝候補の一つに挙げられます激戦区の神奈川県代表ですが、岩手県代表校に勝利したことが一度もないのだそうです。そのような結果に驚きながら、筋書きの無いドラマの不思議さを感じます。昨年もそうでした。盛岡大学付属高校の甲子園1勝は、昨年も優勝候補の東海大相模高校から勝ち取ったものでした。今年も、かなりの試合をテレビ観戦しました。企業内教育における人材育成という範疇で、高校野球から学ぶことがキラ星のごとくあるからです。
 学生にとっての夏休みのもう一つの意義は、“自分自身の興味を拡げる”、“未熟な点を補強する”というように、自主的な成長取組みが可能であるということではないでしょうか。しかし、どう活用するかは、一にも二にも一人ひとりの自主性にかかってきます。だからこそ、事前の計画性と地道な積み重ねが、重要なキーポイントになります。結局、基本は学びも仕事も同じなのです。
今回のエッセイは、夏の甲子園大会に関しての私見になります。
 
甲子園球場の土を持ち帰らなかった花巻東ナイン

 一昨日の決勝戦は、悲願といわれる東北勢初の全国制覇が達成しそうな試合でした。しかし、東海大相模は、昨夏の1回戦負け(岩手県代表の盛岡大付属と対戦)を教訓として、何が起きても大丈夫なように備えてきたそうです。日本一になるために、1年間かけて用意周到に厳しく取組み、基本を大事にした練習を積み重ねたそうです。ですから、観客を味方につけてしまった仙台育成に同点に追いつかれても、落ち着いたプレーで乗り切った東海大相模の強さが際立っていました。全てが想定内だったのです。ボーイスカウトのモットーである「備えよ常に」、仕事の進め方の基本である「PDCAサイクルのスパイラルアップ」、「段取りのうまさと準備万端整える」は、どの世界でも通用する黄金律であることを、改めて気づかせてくれたのでした。
 それにしても、負けてしまえば終わってしまう高校野球では、何故に数え切れないほどのドラマが生まれるのでしょうか。それらのことを、つくづく感じた夏になりました。

 岩手県代表・花巻東高校は3回戦まで勝ちあがりました。日本一を合言葉にして臨んだ今夏の成績は、準優勝の仙台育英に4対3で惜敗し、結局2勝1敗でした。8回出場した通算成績は10勝8敗と勝ち星が上回っています。ちなみに、岩手県代表チームの夏の通算成績は34勝73敗1分けですから、花巻東ナインが毎年発する「日本一になりたい」という強い思いは、単なる夢物語という3文字を感じさせなくなりました。
 私が花巻東に興味を抱くようになったきっかけの一つは、レギュラーのほとんどが岩手県内出身者であることです。多くの私立強豪校の場合、県外出身者のレギュラークラスの比率が高いように思います。花巻東の場合は、それがチーム方針なのでしょうか。ずっと変わりありませんね。
 その是非を問うつもりはありませんが、高校野球が郷土愛を感じる機会でもあることからか、花巻東の実態と活躍は、いたく私の贔屓心を刺激するのです。そしてこのチーム方針は、あの北の鉄人といわれてラグビー日本一7連覇を果たした新日鉄釜石ラグビー部とダブってくるのです。地元の高校出身選手育成を柱の一つとして、チーム強化を図っての7連覇でした。そうするいくつかの理由があったのでしょうが、その考えはチーム草創期(富士製鉄釜石ラグビー部時代)から変わりなかったようです。時代と競技そのものが異なりますから新日鉄釜石と花巻東を対比できませんが、限られた人的資源と組織環境の中で、出来る限りの知恵を搾り出してチーム強化方針を練り、方針実現のための戦術を具体化して実行し続けた結果なのです。このことは、企業の人材育成にも相通じることです。同じ視点で論じることができると思うのです。

 8月16日(日)の試合終了後、応援団に一礼した花巻東ナインは、三塁側ダッグアウト前で用具の片づけを始めました。テキパキと短時間で済ませた後は、整列をして退場の指示を待っていました。多くの敗戦チームのナインは、ベンチ前の甲子園の土を持ち帰ります。これも甲子園大会の風物詩の一つです。しかし、テレビ映像からの判断ですが、花巻東ナインは誰一人、甲子園の土をかき集めた様子はありませんでした。翌日の岩手日報に、そう報じられていましたので、間違いないようです。土を持ち帰ることの是非はさておいて、花巻東ナインの姿勢に対して大いに感じるものがありました。
 甲子園の土を持ち帰らなかったという彼らの姿勢から、過去にとらわれることなく、過去に縛られることなく、大いに羽ばたくであろう可能性の予感がしたのです。これからの長い人生においては、野球以外のことで多くの艱難辛苦が待ち受けているでしょう。羽ばたく日がいつであるかは、一人ひとり異なるでしょうが、思いっ切り飛翔する日が成就することを祈りたい気持ちが支配したのです。翌日の準々決勝で惜敗した沖縄興南高校ナインも、誰一人土を持ち帰った様子はありませんでした。両校選手の姿勢から、人間教育のあり方、倫理教育のあり方の根幹となるヒントが潜んでいるようにも思いました。
 このことは、チーム指導のあり方の帰結とも言えそうです。監督や部長の育成方針やそれまでのチームの歩みを知るにつけ、関わる指導者の地道なパーソナルインフルエンスの産物であることが明らかです。そこから、私の関わる業種の世界では、企業内教育担当者の育成こそが喫緊の最優先課題であることを、相変わらず強く感じております。相応の人生経験と実務経験を積んだ正社員を、10年かけて教育担当として一人前に育成する覚悟を持って実践している企業が、もっと増えて欲しいと思います。人事や人材育成担当者は、片手間や小手先のやり方では育たないのです。
 そのようなことを学んだ夏でした。
                                                          (2015.8.22記)

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