“茹で蛙現象”に陥るな!
この警句をご存知の方は、かなり多いのではないでしょうか。先ず、茹で蛙現象の復習をしましょう。
ここに二匹の蛙がいます。一匹の蛙を水の入った鍋に入れます。その鍋を徐々に温めていくと、その蛙は水温の上昇に気づかないまま良い気分になり、やがて沸騰したお湯の中で死んでしまいます。二匹目の蛙は、最初から沸騰した鍋に入れました。二匹目は驚いて、直ちに跳びはねて鍋から脱出をしました。ただし、この二匹の蛙の比較現象は、科学的な実験結果ではなく、疑似科学的な作り話として広まった、というのが事実のようです。
この茹で蛙現象は、ビジネスセミナーや管理者研修などにおいて、今でも引用されることの多い警句の一つだそうです。会社も組織も人間も、ゆるやかな経営環境の変化に気づきにくく、気がついた時には致命的な状況に陥っていることへの警鐘として使われています。そのことは、経営環境への適応こそが生き残りの重要な条件であることを示唆しています。そして、気づかないまま陥ってしまうマンネリ化に対する、さらに知らず知らずに進行してしまうぬるま湯体質に対する、それはそれは強烈な目覚ましパンチなのだ、と受け止めております
企業生き残りの要件には、いくつもの要素があって、その時々に優先順位を明らかにして対処することだと思います。その中でも、経営環境の変化への適応と企業理念の具現化の融合、つまり不易流行こそが着眼点の原点だということは、エッセイの中で繰り返してつぶやいてきました。
今回のエッセイは、現状のぬるま湯体質に気づいていない薬学生や成り立ての薬剤師に対しまして、ハッキリと喝&活を入れたいと思います。この10数年間接してきた学び塾での薬学生、採用活動で出会った薬学生、いのうえ塾新入社員研修での新卒薬剤師の中には、ぬるま湯体質への危機感の乏しい方々を多数見てきました。その存在が、常に気になります。“どうにかしなければ”と、つくづく感じているのです。
学生と社会人との大きな違いの一つ
学生から社会人になると、多くの人がそれまでとは違う大きな何かに出会います。その違いが何であるのか、その感じ方には個人差があるでしょう。全く何も感じない人もいることでしょう。
Mさんは、その大きな違いを、こう表現しました。
「社会人になると、自分の方から向かっていかなければ明日はありません」と。
続けて言いました。
「学生の時は、黙っていても明日は来ました。カリキュラムとスケジュールが明示されていて、それに則して動いていれば済むことがほとんどでしたから」と。
10数秒の沈黙の後に、ためらいながら言い続けました。
「最近は、社会に出てからも、“黙っていても明日は来る”と勘違いしている人が多くなっているような気がします。言われたことは行動に移しますが、それ以外はやりません。常に指示を待っています。自分で考えたり、調べることにも消極的で …… 」
具体例が続きました。
30年前だって、同じような人が存在しました。しかし、その比率は明らかに高くなっていると思います。“何故そうなったのか”、“問題意識があっても何故対処しないのか、出来ないのか”、幾つもの要因が存在することでしょう。この業界だけの問題だとすれば、それは重大な事態という認識を持たなければなりません。
学生と社会人との大きな違いを、学生の時から考えて回答をシッカリ持つよう問いかけたいと思います。回答理由もキチンと言えるように促したいと思います。それが、今の私に出来ることであり、やらなければいけないことだと考えております。
(2015.1.19記)