「継続は力なり」、そして「積み重ねは力なり」の二つは、私自身に対してだけではなく、実行力に少々難のありそうな方々に対して、声を大にして方向づけする頻度の高い行動指針です。対象はさておいて、つぶやきエッセイにも再三再四登場させております。最近では、別々にではなく、成長の両輪としてワンセットとして強調しております。
二つの「… は力なり」は、採用活動で出会い、社会人になってからも共に学び続けている方々の成長過程から教えられました。納得させられた教訓、とでも言えましょうか。
また、今年のソチオリンピックのメダリストである葛西選手、竹内選手の長い競技歴からも教えて頂きました。さらに、私自身が現在も続けております30年間のライフワークを振り返っての実感でもあります。
事例や事柄が何であれ、ある時から、継続や継続による積み重ねを後押ししてくれる原動力の存在を、意識して考えるようになりました。そして、私の場合の原動力が何であるのか、何であったのかを、つくづく感じるようになりました。
私の原動力は、「使命感」、「自己確信」、「好きであること」の三つと認識しております。その三要素のミックスブレンドが、現在言える私の原動力と特定しております。
今回のエッセイ、三つの原動力をつぶやきます。
継続する原動力は何か?
先ずは「使命感」からまいりましょう。
私が企画し運営する教育機会では、可能な限り所感を書いて頂くようにしております。
所感テーマは、それぞれの教育機会のねらいと対象者を鑑みて都度考えておりますが、社会人一年生にもベテランにも、「使命感とは、何だと思いますか?なぜ、必要だと思いますか?」という問いかけをよく行っております。私の考え方や参考になる実例を紹介しながら、一人ひとりの志や目標を意識し続けるために、使命感とは何かを考えて頂くのです。また、自分自身の行動の本質に気づいてもらうきっかけになることも期待しております。
“私がやらないで、一体誰がやるのか!”。
これが、私の考える使命感とは何か、の回答になります。“仕事を立派に成し遂げることへの高い関心度”という表現をする場合もあります。
今でも継続している私のライフワークは、“私がやらずして誰がやるのか!”という使命感が根底にあるからこそ、無心でチャレンジできているのだと思います。冷静なワクワク感で取り組んでいられるのだと思います。
二つ目は「自己確信」です。
自己確信とは、“上司や同僚から、それほど支援や監督を受けなくても、目の前の職務や任務を十分に果たすことができます”という気の持ち方、つまりメンタル的側面の強さのことを指すのだと考えております。自信(自己確信)と言い換えても良いでしょう。
この自己確信、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
自己を確信することですから、“自分のありのままの姿を受け容れて、そのありのままの自分を信じること”になります。先ずは自分を信じること、さらに信じて取り組まなければ、ゴールラインには到達しないでしょう。
ましてや、多くの仕事はチームワークで成り立っています。チームで取り組む場合は、チームメンバーを信じなければ歯車が噛み合わなくなります。自分を信じない人、自分を信じることができない人は、仲間を信じることなど不可能な話です。
自分を信ずるということは、自分自身の心の奥の本心を聴きとって、その本心を信じることです。その本心の根源は、どのような状況においてもぶれない人間観の問題になります。難しいテーマですが、結局、避けては通ることのできない大命題になります。この問題は別の機会に譲るとして、取り組み続けた結果として、様々な形の結晶が積み重なって新しい結晶が形成されていくのではないでしょうか。
さらに、もう一つの鍵を開けてみましょう。
さあ、最後の鍵です。「好きであること」について考えてみましょう。
エッセイ第66回「実行し続けることは立派な能力(2014.3.15記)」を、開き直して頂きたいと思います。その中のライクワーク(この仕事が好きだ)についてです。
「仕事が好きです」と公言できる人は、どれだけいらっしゃるのでしょうか。研修や講演で「今、仕事を好きだとハッキリ言える方は、挙手をお願いいたします」と問いかけることがあります。手をあげ難い問いであることを承知でお聞きしますが、10人に1人もあがるでしょうか。
私の経験では、ライクワークのレベルに達するまでには、かなりの年月を要しました。新たな仕事に就く場合、先ずは自己確信のレベルに達するまでが高い壁になります。その間、多くの失敗を経験しますし、戸惑いを覚えたり、自信喪失を何度も繰り返します。未熟な職務遂行能力を磨き、未知の知識技能を修得していかなければなりません。予定通りに運ばないことの方が、ずっと多いのが実情でしょう。
しかし、自助努力で乗り越えていかなければなりません。それらの要因を当たり前の想定要因と決めた上で、大小の壁をクリアしていかなければライクワークには届かないでしょう。
そこで“壁を乗り越えるためにどうするのか”ということになりますが、ハッキリと押えておきたいことがあります。好きになるプロセスには、“便利で簡単な方程式は存在しない”ということです。
私はこのように考えています。
先ずは、目の前のことに向き合って誠実に対処することです。コツコツこつこつと、小さな自作の結晶を積みあげることです。成功作品だけではなく、失敗作や駄作の全てを積み重ねることです。三日坊主もあるでしょうが、そこで止めないで三日坊主を繰り返して継続することも一法です。三日坊主を十回やれば、三十日になります。様々な形式ややり方の継続を通して、小さな塊がいつの間にか積み重なって新たな形になっていくのです。その結果のご褒美として、その仕事が好きになっていくのだと考えているのです。
エッセイ第66回で言及したように、好きになる有力な鍵として“とりあえず続けてみるか”式継続があります。私の30歳代後半からの7年間は、正に“とりあえず一所懸命に続けてみるか”でした。まるで、“卵が先か、ニワトリが先か”と同じ問答ですね。
それから数年後、“この仕事が好きです。大好きです”と公言できるようになりました。好きになってしまえば“無意識に当り前に続けている”式継続になります。それが、67歳まで続いているのです。
私の場合の継続の原動力を、「使命感」、「自己確信」、「好きであること」のミックスブレンドとしてつぶやきました。つぶやきながら、その根底に欠かせない存在のあることを思い出しております。志の存在です。夢、ビジョン、思いでも良いでしょう。そして、つくづく思い知らされています。それらのどれをとっても、長い時間を経て熟成されるものだということでしょうか。
今回のエッセイの問いは、「継続の原動力は何か?」でした。
回答は、「継続の原動力は、とりあえず継続してみること」になりました。「使命感」も「自己確信」も「好きであること」も、少しかじっただけでは身になる代物ではありません。明白なのは、目の前のことにキチンと向き合って対処することの継続と積み重ねこそが、行動理論と行動姿勢を正してくれる方程式なのだということです。改めて気づいたのでした。つくづく気づかされたのでした。
(2014.7.10記)