エッセイ346:先行き不透明な時代だからこそ“進取の精神”で!

投稿日:2026年1月20日

  *昨年11月に書き上げたエッセイです。

 今年(2025年)は、記憶から消えることのない出来事の節目の年になります。先ず、広島・長崎に原爆が投下され、日本が無条件降伏してから80年が経ちました。さらに、当時戦後最大の被害となった「阪神淡路大震災(1月17日)」、オウム真理教による「地下鉄サリン事件(3月20日)」、107名の乗員乗客が亡くなられた「JR福知山線脱線事故(4月25日)」から30年になります。死者520名に達した「日航123便ジャンボ機墜落事故(8月12日)」からは、40年が過ぎました。また、新潟水俣病が公式確認されてから60年になります。それらの実体に鑑みれば、決して風化させてはいけない出来事ばかりです。どれだけ年数を重ねても、遺族や被害に会われた方々の苦悩や心情が晴れることはないと思います。一国民として、一人の人間として、多くの関係者の声に耳を傾けることを決して忘れてはいけません。そう感じることの多かった2025年(令和7年)になりました。

 そんなことを振り返りながら、主に20才代から30才過ぎの青年層に注文したいことが、頭の中を駆け巡っております。独りよがりかもしれませんが、未熟な若人の特権として強く意識して欲しいと切望する心情を呟いてみたいと思います。

先行き不透明な時代だからこそ“進取の精神”で!

 今、非常に気になっていることがあります。今というより、令和になってから特に感じ続けていることです。それは、仕事遂行に対する信念や粘り強さが、かなり衰退化しているという問題意識です。政治の世界も経済も、先行き不透明で混迷が続いていることが影響しているのかもしれません。新型コロナウィルス感染症(COVIT‐19)禍によって見直され始めた仕事の進め方の多様化への組織対応に問題があるような気もします。いずれにしても、いくつもの要因が入り混じって、将来への希望が描けないまま、生きづらさが拡大して行き場を失っているように感じます。早期転職率の上昇、管理職になりたくない社員の増加などから、日本経済の行く末が気になってしまう私なのです。

 だからと言って、ただ指を銜えてみているだけでは、これまでお世話になった世間様に申し訳が立ちません。国民の大多数は、様々な弊害をかかえながらも、精一杯生き抜いているのですから。今回提起したいことは、この様な時代だからこそ、私が30年前に拘り続けた“進取の精神”を強く意識して欲しいのです。そうすることが、何よりも希望へと続く道標だと思うからです。

 進取の精神とは、自ら困難な課題に果敢に挑戦することです。自ら進んで物事に取り組むことです。チャレンジ精神と言い換えても良いでしょう。この十数年間、私が出会った困難な課題に果敢に挑戦していると推薦できる方は、ほんの一握りの知人です。これまで出会った多くの方々は、初心を心に刻み、初志を前面に出して社会人として船出をされました。しかし、年齢を重ねるごとに、初心の本意を見失い、魂の抜けた初志を飾り物にしている姿が目に付くようになります。私の人生のある時期が、まさしくそんな状況でした。覚悟のない腑抜け状態だったのです。そこから脱皮するきっかけとなったのが1986年(昭和61年)でした。乗り越えられた一番の要因は、腹を括って進取の精神で目の前の課題解決に挑んだことです。以降の10数年間で、いくつもの難題をクリアしました。今振り返ってみれば、驚くほどの質量です。その一つがエッセイ319回で紹介した“人事と教育の一元化”でした。

 進取の精神は、昭和時代の古臭い産物といわれそうですが、先行き不透明で希望の持てない時代だからこそ不易な行動指針ではないでしょうか。これからの時代を背負う青年には、進取の精神で困難な課題に果敢に挑んで欲しいと強く思います。さらに、不惑を過ぎたベテランの皆さんには、これまで培った実力を土台とした進取の精神で範を示して欲しいと切に願うばかりです。

  EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上 和裕(2025.11.19記)

【参考】エッセイ319回:良いお年を……(2024.12.25記)/エッセイ325回:自分自身でやらないと、先へは進めませんね(2025.1.30記)

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