エッセイ344:どのような一年でしたか ……

投稿日:2025年12月24日

 昨日(22日)は冬至でした。毎年、ゆず湯に浸かって、かぼちゃを食べております。それらの由来を知ることは、先人の知恵を学ぶことでもあります。心が温まってきて、嫌なニュースが多い昨今の日常を、少しは吹き飛ばしてくれるような気がします。明日(24日)はクリスマスイブ、あと9日で年が改まるということですね。

 あなたにとりまして、2025年(令和7年)はどのような一年だったでしょうか。何かに対する善し悪しの評価も良し、身近な出来事の感想でも良し、喜怒哀楽を思い返すも良し、どなたかに思いを馳せるもよし、…… 。今年のアンカーエッセイとなりますエッセイ344回は、何はともあれ、来年につながる振り返りをしながら、この一年に感謝したいと思います。

どのような一年でしたか ……

 私にとっての2025年は、これまで以上に体調の芳しくない年でした。2月頃から、この時期に毎年恒例となった感のある軽度のめまいとふらつきに悩まされました。桜の開花と共に収まりましたが、4月半ばから両手首と手指に痛みを感じ始めたのです。いずれ収まるだろうと高を括っておりましたが、一向に回復の気配がしません。5月下旬には手の甲と指の付け根が腫れてきて、かかりつけ医からリウマチクリニックを紹介されました。いくつかの検査を経て、6月第3週から関節リウマチの治療がスタートしました。病気の性格上、進行を抑えて寛解を目指すことになりますが、半年経っても何かと不便さを感じる毎日です。79才にとりましては、寛解までの道のりを歩き切る気力のコントロールが課題となります。当初は、様々な感情に悩まされました。しかし、何が原因で発症したのか不明ですから、現実を受け容れて病気と共に歩むという気持ちで、ストレスフルにならないようにしたいと思います。“言うは易し行うは難し”という感覚ではありますが…。

 通院治療を継続しながら、イの一番に感じたことは、何をおいても健康第一ということです。古希を迎えてから、年を重ねることの意味を、漠然とでも考えるようになりました。心技体は確実に衰えます。個人差はありましょうが、その実態は、思いのほか顕著なのです。今年の私は、加齢による衰えに、新たな病気の不具合が重なって、それまで無意識にやれていたことが、あれもこれも出来なくなりました。健康の有難さを、これまで以上につくづく感じた次第です。それにしても、出来なくなったことによる一苦労が、日々続いています。その一苦労の一部を紹介しましょう。ペンを持って書くこと、ペットボトルなどの開栓、濡れた布巾を絞ることが、思うように出来ません。手を突いて起き上がること、箸での食事、歯磨き、洗髪、靴下の着脱、物を持ち上げること、毎日のゴミ出し、庭の雑草取り・手入れ、スプレーボタンを押す、紐を結ぶ、寝具の上げ下げ、掃除、等々。当たり前に苦も無く行っていたことが、出来なくなりました。やれたとしても、これまでの何倍もの時間と悩ましい工夫を要します。頼る人が不在の場合、無理しなければならないことも生じてきます。気の滅入るネガティブな心情の毎日が続きました。

 そんな日々を繰り返しながら、これまで“健康であることに、どれだけ感謝して生きてきたのだろうか”と、情けなさが込み上げてきました。私以上の難病と苦悩しながら闘っている知人がいます。若くして、あの世に旅立った後輩や身内もいます。“健康であることは、決して当たり前のことではない。何ものにも代えがたい天からの賜りものなのだ”ということを、しみじみと感じているのです。さらに、何年も前から先送りしていた事柄の多さに後悔しております。ですから、健康である時に、倦まず弛まず行動し続けることを、強く奨励したいのです。大小問わず、決めた目標に向かって手抜きしないで精進しましょうと言い続けたいのです。これが、今年最後の呟きとなります。

 さて、今年も私の呟きとお付きあい頂きまして、誠に有難うございました。日本国内だけでなく、地球全体を見渡せば、先行き不透明感は増すばかりです。希望など持てそうにない雰囲気でもあります。だからと言って、そんな状況に流されたくはありません。この一年の日常を振り返りながら、感謝の気持ちで新たな年を迎えたいと思います。身の丈に合ったGoodな気持ちで2026年を迎えましょう。これからの数日は、そんな心構えで過ごしたいと思います。

   EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上 和裕(2025.12.23記)

【参考】エッセイ199回:何をおいても、健康第一(2020.1.3記)

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