エッセイ318:“教育とは何か?”~Yさん而立(30才)の教育観です

投稿日:2024年12月20日

 心技体の衰えを実感しながらも、昨年まで現役状態を続けておりました。採用と人材育成の仕事です。理由はいくつかありますが、未練がましいほどのある思いが消えなかったからです。満足のいく薬剤師有資格者の教育担当育成が、思うように捗っていないからです。そんな火種が残っているからでしょうか、こうやってエッセイを呟いているのだと思います。

 この年になるまでに、企業内教育担当にとって必須と考えている基本のイロハから育成に関与できたのは、Yさん一人だけだったと回想しております。1989年(平成元年)TS販売に入社したYさんは、教育部配属になりました。つまり、私の部下として、社員教育の仕事を担当することになったのです。数年間は、主に事務局的な仕事を通して、ビジネスパーソンとしての素養を身につけながら、資料作成を含めた社員教育機会の諸準備を担って頂きました。その後は、向上心が旺盛であることと職務遂行基礎能力が実力となってスキルアップしたことから、教材作成や研修インストラクターへと、仕事の幅を拡げていきました。何よりも感心したのが、仕事一つひとつの本質を追究して対処する主体的姿勢がベースにあったことです。また、新たな課題に対して積極的に取り組んでくれました。その一つが、編集長としてTS販売初の社内報を発刊したことです。立ち上げから企画発行まで、ほとんど一人で対応していたと思います。表紙のデザインは社員の作品が多かったことから、手作り感あふれる温かみのある愛される社内報となりました。さらに、消費生活アドバイザーの資格取得にチャレンジし、合格までこぎ着けた頑張り屋でした。そんなYさんは、入社してから9年近くの1998年1月に、私宛に自己啓発レポートを提出しました。テーマは、教育担当にとっての命題でもある“教育とは何か?”です。この時点で“一人前の教育担当に成長したな!”と確信した記憶が消えることはありません。そのレポートのコピーは、今でも大切に保管しております。Yさんにとって、正に而立の年でした。今回のエッセイは、その全文を紹介したいと思います。

“教育とは何か?”~Yさん而立(30才)の教育観です

 私自身のこれまでの仕事を振り返ってみると、「教育」という仕事に正面から取り組んできたというよりは、その入口付近で右往左往していたに過ぎなかったように思います。ここで改めて「私にとって教育とは?」というテーマに取り組んでみました。

 「教育」という言葉の重みでつぶされる気がした初めてのインストラクターの仕事。それは、同年令、時としては年上の社員に対して、どうやって自分のポリシーを保ち続けられるかの訓練でもありました。「教育とは教えること」。無意識に、そういう考えが、私の中にはずっと存在し続けてきたのです。人前で話すこと、そのプレゼンの仕方、準備を万全にすること、研修中は受講者の観察を怠らないこと、日頃から新入社員の悩みを察知すること……。これらが、自分の仕事の範囲であるという感覚に支配されていたのですが、考えてみれば、これらは全て「教えること」、つまり「こちらからの働きかけ」に偏ったものでした。この枠から抜け出せず、行き詰まったということでしょうか。つまり、思うように理想に近づかないということです。私の理想とは、少なくとも、私の口から出た言葉を相手が理解し、考えに共鳴し、行動に移してくれるという、まことに甘いものでした。

 人が聞けば「今更何を」となりますが、これまでの仕事上の思いと、その中のいくつかの矛盾に鑑みて、私が到達した考えは、「教えることイコール言って諭す」という単純な式にはならないということです。「押してダメなら引いてみろ」という言葉があります。「言って諭す」とは、正にその「押す」(push)であって、一方的な働きかけにすぎません。もちろん、これが有効に機能する場合も多くありますが、特に会社という組織の中では、それだけで「人を動かせない」ことに気づいたのです。というより、一時的には可能でしょうが、「人の心を動かす」には不十分なのです。つまり、継続してその人の行動に影響を及ぼすには、それだけでは不可能だということです。

 「人の心を動かす」。私はこれを「教育」という言葉に重ね合わせました。そして、教育担当の一人として、自分の重要なテーマとして位置づけました。これには、様々な立場の方々が、多くの著書の中で、その方法論を述べられていて、どれもなるほどと思うばかりです。しかし、現在の私にとって、最も必要なことは何かと問えば、ただひとつに絞られるように思います。それは、「この人の言うことには耳を傾けよう」と思って頂けるような(大胆な言い方をすれば)一人の人格者になることです。その人が言うだけで、真実がさらに輝きを増すというような人間です。例えば、敬語の正しい使い方を身につけて欲しいとカリキュラムを組みます。私がその2時間だけのインストラクターならば、相手に変化は起きません。少なくとも、それほど身につけるための努力はしないでしょう。単に知識になるだけです。身につけてもらうための前提として、私が常に正しい敬語を使い、それによって魅力的であることが必要です。それは、他のあらゆることに通じます。非常に難しい、気の抜けない課題ですが、これに取り組まなければ、試合もせずにコートから逃げることになります。「人を動かす」なら、それも「人の心を揺り動かす」なら、自らが実践している形を、相手の視覚や聴覚に訴えることです。訴え続けることで、初めて相手と同じ考えを共有できるスタンバイが出来たことになります。

 宮澤賢治の教育法が特殊だったことは有名ですが、「賢治の学校」(サンマーク出版)の著者鳥山敏子さんは、本書の中で記しています。「賢治は、自分の伝えたいことを、相手のからだに働きかけ、相手が理解していけるように工夫した。…… 学問の楽しさを共有していた」と。生徒の一人は、こう言ったそうです。「先生は、教室の外でも一生懸命教えてくれる先生でした」。学校の先生と私とでは、土俵が異なるようなので一概には言えませんが、相手の頭に向かって言葉を送り続けることよりも、自分のからだで相手のからだの機能に働きかけることが重要なのは同じであると思います。研修以外の場でも、私自身が努力を怠らない影響力のある人間でいなければならない理由も、彼の生徒の言葉に裏打ちされるでしょう。

 「教育」とは「共育」と言われます。一緒に育っていくというようなレベルでいいのだろうか?ずっと抱いてきた疑問も賢治を思えば理解できます。一緒に無邪気にいたずらをしていた先生でありながら、これほど尊敬されたのは、彼なりの計算があってのことでした。「共育」とは、単に同じグラウンドで同じ視線で育つことではないことを教えてくれます。両者とも育成すべき部分が異なるのでした。同じグラウンドの中ででも… 。つまり、前述のように、あくまでも「教育担当」は、見つめられる存在「人格者」でなくてはならないからです。ここまで述べてきて、私の導く結論は単純なものです。私の舞台を研修の場以外にも作ることです。というより、どのタイミングで捉えられても恥ずかしくない人間であることです。難しい式は要りません。普段言っていることを実行するだけです。必要なのは強い覚悟。周りを見渡し、自分の力で影響力を与えられる人はいるだろうか?はたと情けなくなったのがスタートでした。これが、今現在の自分の課題です。「教育とは?」という大きなテーマに沿うものかは疑問ですが、私自身の考えとしては、それは「人の心を動かすもの」であると思います。そして、その為に私の為すべきことは何か、ということについて申し上げました。    〔1998年1月22日 Y〕

★あとがき

 Yさんのレポートを、四半世紀ぶりに読み直しました。日々の疑問や課題と向き合って、試行錯誤しながら任務を果たそうとするYさんと、何年もの間、同じ釜のご飯を食べたことに感謝しかありません。Yさんの変わることのない姿勢と態度は、私の心を揺り動かしてくれていたのです。立場(上司と部下)が違えども、同じ視点で本質を追究した行動姿勢が、何よりも嬉しかった。それが、今回読み直して思い起こされたことです。そして、現役の旗を降ろして以降に萎えてきた私のモチベーションの残り火に、新たなエネルギーを注いでくれました。

 「教育とは何か?」は、相応の経験を積まなければ自答が難しい問いかけです。ですから、経験の質量によって、その回答は十人十色になるでしょう。TK販売の教育担当として、一所懸命走り続けていたYさんに対して、その当時どのような言葉をかけたのかは思い出せません。かけていなかったかも知れません。今であれば、こんな言葉を差しあげたいと思います。“仲間の心を揺り動かす人を目指そう”、“仕事って楽しいと公言できる人になろう”。而立の年に行き着いた「教育とは何か!」は、今でもYさん色の輝きを放っています。

   EDUCOいわて・学び塾主宰/薬剤師 井上  和裕(2024.11.5記)

最新の記事
アーカイブ

ページトップボタン