エッセイ273:いつか通らなければいけない道に辿り着きました

投稿日:2023年2月20日

   *エッセイ273回は、2022年最後のエッセイです。

 前回(エッセイ272回)のテーマを呟いてから、岩手県出身である後藤新平の名言が、ずっと頭から離れません。官僚・政治家で医師でもあった後藤が倒れる日、三島通陽に残した言葉です。

「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」と。この名言を、“世の中を作っていくのは人である”という理念のもと、“難しい課題ではあるけれども、人材育成こそが尊いことであることを忘れるな”と、私は解釈しております。ですから、“改めて、自社の社員を自前で育てられない企業に明日はない”という問題意識に行き着くのです。今回のエッセイで2022年を締めたいと思います。

いつか通らなければいけない道に辿り着きました

 “辿り着いた”の意味は、“いろいろ苦労をして、目的地にようやく行き着いた”ということですから、今回呟く内容には使い方が適切ではないかもしれません。何故かといえば、いつか通らなければいけない道は最終目的地ではないからです。辿り着いたのは、私の人生における仕事の終着駅を意思決定する通り道、つまり通過点ということになります。しかし、私にとって避けてしまっては悔いを残す道ですから、“苦労して行き着いた”という感覚なのです。つまり、人生の最終目的地を意思決定する避けてはいけない関所という位置づけで、呟きを始めたいと思います。

 私の人生の目的地は、10数年前に公言したプロボノとして生涯現役を貫くことです。今でも失せておりません。しかし、そんな思いとは裏腹に、心技体のアンバランスから、満足いく出来栄えの継続が難しくなりました。数年前から姿を現した“もう潮時か?”という五文字が、目の前を蔽い尽くしてきたのです。この半年間、気負わずに考えた結果、次のような結論に至りました。オンリーワンと自負している新卒採用とカスタマイズ型対面式教育機会による人材育成の旗を、2022年の除夜の鐘と共に降ろすことにします。その上で、2023年からは、各種エッセイによる問題提起と対案提示、スタートして間もない異業種連携によるコラボレーション「Kプロジェクト」のウォッチ、学び塾再開の三点を中心に、私流の社会との関わりを継続することにしました。私の大好きな中田薬局への支援も、可能な限り続けていく所存です。尚、ここに至る理由と経緯は、エッセイ260回をご覧頂きましたいと存じます。

 私の50数年間の社会人人生では、数多くの諸先輩の引き際を見聞きしてきました。そんな中で、私自身の生き方を意思決定する時の参考にすると心に刻んでいた先輩の言動について、この機会に紹介したいと思います。

 私が40才代後半の頃だったと思います。数年年上の知人Aさんが、転職されたことを人づてに知りました。青天の霹靂状態でしたから、直接お会いして転職理由をお聴きすることにしたのです。その理由は、私が54才で転職を意識するきっかけとなりました。「会社におけるポスト枠は決まっている。いつまでも私が居座り続けていては、後輩のモチベーションは上がらないし、人材育成の現状実態を鑑みれば大問題と感じ始めていた。経営環境の変化が激しい時代を生き抜くためには、組織の新陳代謝が不可欠である。お世話になった会社への私なりの誠意の表現として、活力のある後進に道を譲ることにした」と。Aさんの本音でした。

 もう一人紹介したいのは、年令が私の一回り先輩のNさんです。あと数年で定年を迎える秋口に、周りに理由を告げないまま、密かに退職されたそうです。そのふた月前、本人にとって不本意な異動辞令が交付され、課せられた最後の仕事内容が、ご自身の人生観・仕事観とは相容れないことが退職理由とのことでした。それに潔さがついて回っての退職決断と、後日Nさんの友人から拝聴しました。客観的な視野で組織運営を俯瞰し、人の振りを見て、常に我が身を振り直す方だったそうです。後輩から慕われていたことが想像できます。

 人間の一生において、キチンと向き合って意思決定しなければならない事態が発生します。その時に問われるのが、人生観・仕事観・人間観などのライフフィロソフィー(人生哲学)ではないでしょうか。年一回、自身のライフフィロソフィー点検をお勧めしたいと思います。

  人財開発部/EDUCOいわて・学び塾主宰 井上 和裕(2022.12.23記)

【参考】エッセイ260回:ただいま思索中~私自身の仕事のしまい方(2022.6.19記)/エッセイ215回:生き方の探求こそが、生涯学習テーマの基盤(2020.4.10記)

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