エッセイ272:改めて、自社の社員を自前で育てられない企業に明日はない

投稿日:2023年2月6日

   *エッセイ272回は、昨年12月7日付のエッセイです。

 2022年(令和4年)も、12月を残すだけとなりました。世界情勢を含めて、幾つもの要因が重なって、先が見えない不安や生きづらさからくる閉塞感が、この数年間漂い続けています。何とか前を向こうとするのですが、マイナス思考に陥っていることの多かった一年でもありました。

 新型コロナウイルス禍から3年近くも経って、気弱さから抜け出せない私の心の時計の針は、コロナ禍第一波から止まったままのような気がします。何かをしようと思い立っても、新たな変異株によって、どうしても一歩が踏み出せないのです。また、感染した場合の後遺症も気になります。そのような状態ではありますが、成し遂げたいいくつかの課題を、忘れずに持ち続けております。76才の私の人生の一日時計は残すところ1時間前後でしょうが、だからこそ悔いを残さない人生にしたいという気持ちがそうさせているのでしょう。何事も“やれる時にやっておきましょう”精神は、前途有為な若人に対して強く申しあげたい呼びかけの一つですが、私も若人に負けないで挑戦の魂を燃やし続ける所存でおります。

 先行き不透明の煩わしく鬱陶しい新型コロナウイルス禍ではありますが、物事を掘り下げて思考する時間を与えてくれました。俯瞰して見渡せば、そう思えてなりません。だからでしょうか、最近のエッセイは、“後悔先に立たず”を意識しての問題提起が、大半のような気がします。2022年12月のエッセイ272回は、相も変わらず危機感が乏しいと感じている人材育成に関する問題意識に再登場して頂きましょう。

改めて、自社の社員を自前で育てられない企業に明日はない

 6年前になります。私の主宰する学び塾で“自社の社員を自前で育てようとしない企業に明日はない”と言い切りました。本質的な人材育成のあり方を、もっともっと追究していかなければ、いずれは大きな後悔につながると感じていたからです。人材育成の現状実態に対する問題意識も危機感も、私の目からは明らかに希薄だと感じ続けていたからです。希薄というよりも、認識不足・勉強不足にほとほと呆れ返っておりました。バブル経済崩壊(1990年代前半)後、人材育成においても効率化と即戦力化が叫ばれ、社員教育のアウトソーシングと中途採用の波が押し寄せてきました。近視眼的な業績評価が幅を利かせ、計画的人材育成の門扉は閉じられしまったのです。その結果として、地に足の着いた中長期的人材育成は見向きもされなくなり、地味な基礎教育は影すら消されたように感じています。社員育成の自前主義は、金食い虫として消え去る運命を辿りました。そのツケが、チーム運営の活性化にも影響を及ぼしていると思います。感じ続けているこれらの危機感は、新型コロナウイルス禍によって増長しているのです。改めて、企業における人材育成に関する私見を叫びたいと思います。

 先ずは、意識面から革めなければいけません。“革める”とは、改善とは一線を画します。全く新しいモノと入れ替えることですから、強い決意で試行錯誤しなければ達成の難しい課題ということを意味します。正面から向き合ってやり抜く覚悟が必要だということです。実務面では、人材育成の原点となる理念と方法論の本質的基盤の再構築から始まって、社員教育全般の基本を学び直すことにも着手しなければなりません。この20数年間、先送りすることが許されない喫緊の課題として提言し続けてきました。人材育成のイロハを改めて学び続けながら、社員教育に対する基本理念や方途を再構築して、理念に基づいた具体的実践方法を体系化することです。

 今回、その中で特に声を張り上げて訴えたいことは、自社の社員を自前で育てる『将来の幹部社員は、生え抜きから自前で育てる』と公言することです。さらに、自社内にゼネラリストとしての本物の教育担当を育成して、研修も含めた人材育成機会を外部に頼まず自前でやり通すことを推進することです。体制を整えながら、徹底した初任者教育、基礎教育を繰り返して実践することだと思います。数年間のスパンで、しなやかで健全で普遍的な体系を創って日々実践することが、生活者に寄り添う持続可能な企業運営の土台になるのではないでしょうか。

  人財開発部/EDUCOいわて・学び塾 主宰  井上 和裕(2022.12.7記)

 

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