2014年(平成26年)の年初に決意表明したことがあります。“目の前の事に集中して全力投球する”ということです。8年経過して、全力投球することの意義を強く感じております。何人ものアスリートが、そのことを改めてハッキリと気づかせてくれました。今回のエッセイは、能力開発の土台となる泥臭い全力投球が、避けられているように思える今への警鐘を鳴らしたいのです。何年も前から実感しておりました。
全力投球の意義
私が推すアスリートの一人が、同郷(岩手県)の大ファンMLBロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平さんです。そうなった理由は、野球が大好きで目的達成のために全力投球していることです。そのことを強く感じたのが、1年以上も前の昨年(2021年)6月18日デトロイト・タイガース戦でした。大谷さんは、投手2番のリアル二刀流で出場しました。投手として6回を投げ、1失点で3勝目をあげた試合です。打席には3度立ち、連続試合ホームランは叶いませんでしたが、四球で2度出塁しました。5回裏のことです。2死走者なしで四球を選んだ大谷さんは、何とか塁を進めようと3度も盗塁を試みました。その都度、集中しての全力疾走です。打者がアウトになってその回は終了しましたが、そのまま6回表もマウンドに向かいました。投手の全力疾走での盗塁は考えられないことです。あの場面から、野球少年のように、平然と走攻守に全力を尽くす大谷さんの本質を見た気がしました。その姿に、ただただ惹きつけられたのです。
もう一人は、大谷さんと同じ1994年生まれのフィギュアスケーター羽生結弦さんです。2022年北京オリンピックでの三連覇は叶いませんでしたが、けがの影響もありながら前人未到のクワッドアクセルに挑みました。転倒しましたが、成功と認められた4回転アクセル。ショートプログラムでの不運もあって表彰台に上がれませんでした。それでも、試合後のインタビューでは、心に沁み込む言葉を紡いでくれたのです。“全部出し切ったというのが正直な気持ちです”、“いやもう、一生懸命頑張りました。正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないけど、……。でも、一生懸命頑張りました”と。羽生さんは、納得するために全力で挑戦したのです。そして“人生って報われることが全てじゃない。ただ、報われなかった今は今で幸せだ”という語り口に、常に全力を捧げる姿を感じ取りました。そして「今は報われなかったと思う努力が、報われた努力でしたと実感することが、いつの日か必ず到来します」と、心の中で呟き返しました。最近、競技スケートからの引退を発表しております。
私のこれまでの人生の転換期の一つが、合併会社(社員数約600名)に新設された教育部の実務責任者に就任した時でした。これといった特技も秀でた能力も持ち合わせていない私は、いくつもの課題を抱えて、かなり悩みながら手探りで対処する毎日でした。目の前のいくつもの任務を、真剣に精一杯やり通すことでしか、前に踏み出すことができなかったのです。どれだけ時間がかかろうとも、手抜きしないでやり通すしか手立てがありませんでした。今振り返って、その期間の習性が、全力投球の習慣化につながったと思います。課題の山積み状態が続いていましたから、それ以来ずっと、同じスタンスで向き合っている私がいます。そして、“目の前の事に集中して全力投球する”という決意で行動する私の仕事遂行フォルムが出来あがりました。
一方、仕事も対人関係も、かなり不器用で融通が利かない私です。さらに、時々顔を出す頑固さも影響してか、他者の意見や考えを理解して受け容れるまでに人の数倍時間を要することがあります。自己変革を目指して努力していますが、なかなか変えられなかった期間が続きました。そのようなことが影響してか、全力投球という仕事遂行フォルムにムラが出たこともありました。そんな有様では、後輩に顔向け出来ません。そこで、63才で5年間勤務した調剤薬局チェーンの定年退職を期に、それまで育てて頂いた地域、社会、皆様方に恩送りすることにしました。プロボノ的感覚で、頂戴した目の前の事に対して、自然体で、可能な限り誠実に対処したい、集中して全力投球し続けることを決意したのです。“年相応に力むことなく”、そう呟いてから13年経過しました。超一流のアスリートでさえ全力投球しています。誰にも出来る行動作法が全力投球であることを肝に銘じて、日々の任務とキチンと向き合って全力を尽くし続けたいのです。
人財開発部/EDUCOいわて・学び塾 主宰 井上 和裕(2022.8.1記)