いのうえ塾の定番課題に2分間スピーチがあります。600文字±10文字の原稿作成が条件です。基本的な聴き取りやすい速度と文字数(300文字/1分間)を明示して、その感覚を身体に沁み込ませることが訓練の目的になります。8か月ほど前に、天声人語(朝日新聞一面掲載)の文字数が603文字であることを知りました。(元天声人語筆者 福島申二氏談)誌面で文字数を数えてみたら、記号(▼)も含めて605文字でした。文字数制限の意図は異なるかもしれませんが、何とも言葉にならない感覚の親近感を抱いた次第です。今回のエッセイは、過去の体験から学んだことのいくつかを取りあげてみます。
難しい対人関係から学び得たもの
エッセイ256回では、“仕事は自分自身の好みで取捨選択できない”ことに触れました。好き嫌いという意味では、組織における対人関係も同じことが言えましょう。人間の個性や感情は十人十色ですから、嫌いな人、苦手な人、相性が悪い人ともチームを組まなければならないことがあるのです。好き嫌いのような主観的理由が伴う任務遂行は、組織活動の出来栄えに影響することが考えられます。多かれ少なかれ、そのような実態の中で、“社会の一員としてどうあるべきか”を学び考えながら成長するのが人生なのだと思います。
体質的に下戸の私は、30才代のかなりの期間お酒の席で苦労しました。“酒を飲めないのは男じゃない!”、“オレのお酌を受けられないのか!”など、注がれたお酒を飲み干すまで正座を強いられたことが、何度となくありましたね。転職でお世話になった会社の歓迎会では、社員一人ひとりにお酌して回るのが暗黙のしきたりのようでした。さらに、返盃を飲み干すのが当然という雰囲気でしたから、お酒に弱い私は針のむしろに座っている心境になります。その当時は表立って問題にされませんでしたが、それはかなりきついパワーハラスメントであり、集団的イジメに近い感覚だったと思います。以降、嫌いな人や苦手な場を極力避けることが何年間も続きました。
後になって気付いたことですが、これらの思い出したくない経験は、人としてどうあれば良いのかを学ぶ機会となりました。その一つが、“人にやられて嫌だったことは、やってはいけない”ということです。どれだけ実践できたか自信のない時期もありましたが、常に自省の意識を持ち続けております。また、“業績が低迷している時や意気消沈している時に頑張るのが真のリーダー”(エッセイ257回)というのは、あの酒席がきっかけでした。いずれにしても、好き嫌いがあっても十人十色の多くの方々との関りから学び考え気づくことを繰り返して、信頼される人としての根が丈夫でしなやかになっていくです。その積み重ねで有意義な人生への道が造られるのだと思います。
もう一つ、見聞きしたハラスメントや不正・偽装から、心に強く刻みこんだ自戒の指針があります。“規範やルールに逸脱する事や倫理上問題のある事には手をつけない”ということです。この2年半の新型コロナウィルス渦中で報道された各種不正・不祥事や発覚後の対応・言動には、がっかりとさせられました。世の中には、“何故いけないのか”という理由や説明が上手につけられなくても、“理屈抜きでやってはいけないこと”があると思います。人は一人で生きてゆけません。共生を前提として、お互いが気持ちよく過ごしていくために、長~い間培われてきた文化から生まれた規範やルールがあるのです。この40年間を振り返って点検すれば、1990年代のバブル崩壊による不況下で、不祥事や不正が頻発していました。そこで2000年代に入って注目されたのがコンプライアンスやガバナンスです。法令遵守だけではなく、企業倫理・社会規範なども含めた企業統治が求められ、企業の社会的責任(CSR)が問われ始めました。最近も、企業や個人の不祥事、倫理上の問題が多発しています。人としての資質が問われる出来事に出合うたびに、貯めなければいけないのは信用と人徳ではないかと強く感じます。さらに、“何故、このような状況が相も変わらず無くならないのか?”と情けない気持ちにもなります。私たち一人ひとりが自分事として向き合わなければならない倫理的問題であり、当たり前の生涯学習課題だと強く感じているのです。
75年の人生では、難しい対人関係から逃げ出したこともありました。反面、向き合って得たものも幾つかあります。我慢と忍耐を繰り返しながら相互信頼に結ぶついた達成感が、日々のモチベーションをコントロールしてくれる感覚を思い出す日々が続きそうです。
人財開発部 井上 和裕(2022.5.19記)