今年の春から初夏にかけてのお話しです。
4月に入って、自粛生活のストレスで萎えた心を癒したいと、感染対策を意識しながら、桜を求めてあちらこちらに足を延ばしました。4月5日(月)から数日間は桜の木のある場所の下見を行ない、頃合いを見計らっては、あの淡いピンクの花を愛でに出かけたのです。全て自家用車の窓越しからでしたが、これだけ時間をかけての盛岡市内桜観賞は記憶にありません。生まれて初めて“桜って、こんなに可憐できれいな花だったのか…”と感じ入りました。それだけ、自然の風情に飢えていたのだと思います。さらに、市内のあちこちに存在する桜の木の多さにも驚いてしまいました。4月中旬からは、自宅の庭の椿や野草に眼を奪われ、5月は花みずき・ツツジ・山法師、6月からはウツギと紫陽花を楽しみました。草木に対して、こんなに目を掛けたのは、何年振りだったでしょうか。5月に入ってからは、若葉から発せられる新緑シャワーを浴びながら、気分転換に努めました。四季折々の季節巡りは、人の心根に安らぎを注いでくれます。自然の移り変わりに対して、敬意を籠めて脱帽した2021年の4~6月でした。
今回のエッセイは、15年前に呟いた問題意識と最近の似たような気付きを取りあげてみます。
心技体の衰えを受け容れて上手に付き合おう
先日、15年前に取りあげたあるエッセイ“能力も使わなければ錆びる、錆び防止に…”(2006.9.20記)を思い出しました。3年ぶりに新入社員導入研修を企画担当して、“これはいかんなぁ”と思い知らされたことを綴った内容でした。新型コロナウイルス禍の1年8ヵ月で、似たような感覚に出会っております。
南東北を中心に展開している調剤薬局チェーンA社のお世話になったのが、2004年10月でした。先ず、それまで未着手だった新卒薬剤師の採用活動をスタートさせて、2006年4月に採用した新入社員教育をスタートすることにしたのです。A社にとって未知の世界でしたから、準備にかなりの時間を使いました。採用に関しては、企業紹介のパンフレット作成とホームページの刷新から手を付けました。教育については、企業理念の再構築や教材の作成等、今振り返っても自画自賛したいほどの重い課題に取り組んだ記憶が残っております。また、社内における人材育成の考え方や企画内容の理解と共有化には、相当のエネルギーを使いました。それらを一人でこなしましたから、運営とインストラクションの準備時間を捻出できなかったですね。結果、2006年の新入社員研修は不満足な自己評価で終わってしまいました。過去の経験から“身体が覚えてくれている。何とかなるさ”という油断と慢心が要因であることは明白だったのです。“能力は使わなければ錆びてしまう”というのが、その当時の問題意識になります。昨年からの新型コロナウイルス禍は、勤務形態を含めて仕事の進め方や人材育成のあり方など、企業運営の理念や方途を見直すきっかけとなっています。私の主任務である企業内人材育成のあり方は、手探りしながらの試行錯誤の段階であり、そんな状態がしばらく続くと思います。その様な中で思い浮かんだのが、15年前の“能力は使わなければ錆びてしまう”という文言でした。
しかし、実感している着眼点は、当時とは異なります。能力を含めた心技体は、加齢とともに衰えてしまうのです。後期高齢者間近の私ですから、心技体の衰えは自然の姿であり、使い続けていても衰えてしまいます。個人差はあれ、誰もが通る道ということになりましょうか。こんなことがありました。知人と40分ほど電話で対話したのですが、10分もしないうちに、声が嗄れてしまったのです。さらに会話に疲れてしまい、明らかに体力の減退を感じた次第です。些細なことになりますが、そんなこともあって、あることに気付かされました。
私は、心技体を含む様々な衰えを受け容れて上手に付き合うことを、無視していたのです。私の心技体の実態を、それも急激な右肩下がりのトレンドを感じ取っていませんでした。もっと早く気づいておきたかったという悔いが残りました。大切なことは、心技体の実態を素直に受け容れて、その実態に合った方途で対処することですね。言い方は異なりますが、無理な緊張など捨てて、当たり前の摂理に従って、現実を受け容れて上手に付き合おうと思います。神経質で頑固な私にとって高いハードルではありますが、そう心に決めて対処することにしております。
人財開発部 井上 和裕(2021.8.17記)