エッセイ189回では、“仕事そのもので差がつかないのであれば、社員一人ひとりで差をつけるしか道はない”、“会社の生き残る道は、社員教育を上位優先課題として位置づけること”と申しあげました。会社の理念実現に精一杯努力している社員の立場を慮れば、“人財育成は、当たり前の弊社の使命”という言い方が真意なのです。私が現在お手伝いしている中田薬局は、そのことが素直に実感できる会社だと思います。
そんなことを反芻しながら、信頼のコミュニケーション実現の難しさが、改めて浮き彫りになってきます。最近では、“どのような文言でコミュニケーションを図ったらいいのか?”というような、言葉そのものの選び方・使い方、文章の量などにも問題意識が働きます。これまでのエッセイとE森で、何度となく問題提起し、提案もしてきました。しかし、スピード化・効率化が優先される今の時代には、表面上の心地良い言葉や分かり易い表現で済ますことが多いような気がします。また、それが無理解や誤解のもとになって、急いだ挙句の果てが、結局スタート地点に戻ってしまうことも見聞きします。“急がば回れ”の典型ですね。
今回は、分かり易さの罠に焦点を当ててみました。少々大げさですが、その心は、分かり易さの否定ではなく、陥りがちな罠・落とし穴を理解した上で分かり易さを追究したいのです。
要注意、“分かり易さ”の罠
先ず、中田薬局の経営理念から紹介したいと思います。その三番目に、「社員一人ひとりの志や能力を尊重し、みんなの英知を結集して医療施設としての総合力を高めていきます」とあります。さらに、“社員一人ひとりの個性・独創性・専門性を尊重し、その能力が最大限に発揮されるような職場風土と仕組み作りに全力で向き合います。そして、一人ひとりの思いや力を結集して、中田薬局の総合力を高め続けます”という内容が付記されています。
地域社会への公約宣言としての基本理念は、「私達中田薬局の社員は、患者様と地域の生活者の健康向上のために、多くの医療関連従事者・協力者との連携・協働を通して、“ありがとう”と笑顔で感謝され、納得した満足を実現できる心のこもった医療サービスの提供を使命といたします」という内容です。経営理念と同じように、“「心のこもった医療サービス」については、具体的な事例・志・思いを、社員の日常業務の中から、仕事研究的に追究して事例化していく”という文言が、社員への行動規範として付記されています。有為な医療人を育てること、地域の生活者のお役に立てる人財を育て続けるという意思の表れなのです。
基本理念・経営理念も含めた現在の中田薬局の企業理念は、約9年前(2010年)に再定義しました。仕上げの段階までに半年を要したと思います。一番心を砕いたのが、社員の理解と共感・共鳴を得るための文言や共有化の方法でした。特に、行動レベルの理解につながる文言をどれにするのか、四苦八苦しながら行き着いた結論は、①使う言葉を吟味する(=意味を調べて、的確な文言で表現する)、②本意が伝わることを第一義として、文言の簡略化をしない、③社員に対して、企業理念の内容とその理由を説明する、という3点でした。
30数年間人事・教育の仕事に携わって、必要な言葉を省いて簡略化した表現にすると、なかなか本意が伝わらないことを何度も経験しました。分かり易さを意識するあまり、字数を減らして表面的な言葉で済ましたことが、幾度となくありました。形式的なものであればそれで良いのかもしれませんが、それでは本意が伝わらないだけでなく、長い目で見れば日々の仕事の出来栄えにも影響します。そのことがきっかけとなって、“分かり易さとは何か?”を自問自答した時期がありました。簡潔な表現を否定はしません。分かり易さの要素の一つではありますが、要ではありません。私の結論は、“本質が明確で、可能な限り理解し易く、的確な行動へと導いてくれる文言を駆使すること”が、分かり易さの根幹だということです。
つぶやきエッセイを始めたのが2005年でした。回数を積み重ねて、牛歩ではありますが、私自身が納得する文言で表現できるようになってきたと思います。最近では、私の考える分かり易さにより近づいていると確信できるようになりました。
もう一つの変化は、文字数がかなり増えていることです。丁寧な説明を心がけているからでしょう。また、しつこいほど点検を繰り返していますから、仕上がるまでに要する時間が何倍にも増えました。その理由を掘り起こしてみたいと思います。
取り上げるテーマには、取りあげる目的、取りあげた理由があります。それらの多くは、長い年月の仕事体験を経て、徐々に膨れ上がってきたものです。その目的や理由をキチンと表現しなければ、なかなか本意は伝わりません。本意や真意を理解して頂くためには、目的・理由・経緯、そして認識している問題の実態を、より詳しく言及することが必須要件なのです。理由の理由ということだってあります。そこは丁寧に表現するべきだと考えるようになりましたから、自ずと文字数は増えます。当然、使う言葉も吟味します。共通認識を促すための補足説明だってあるのです。私の考える分かり易さという点では、起承転結の工夫、全体のストーリー性など、構成上の工夫にも心がけておりますし、何度も読み直しては、簡潔さに配慮することも忘れません。
私の仕事作法を長々と申しあげた根底に、今回のテーマ『要注意、“分かり易さ”の罠』という問題意識があるからです。この問題意識は、年齢に比例して増幅しております。政治家やマスコミを賑わす方々の言動であったり、テレビやSNSを賑わしている事件や出来事であったり、表面だけの分かり易さに対して問題意識が膨らむ素材に事欠きません。たかだか数十文字で、本質を表現することなど私の力では不可能ですから、現状の分かり易さに対する問題点(デメリット)を意識して、理解につながる文言を掘り起こしていく必要性を常に感じております。紋切り型の分かり易さ、興味を引く心地良さに、騙されてはいけません。罠、落とし穴があることを覚悟しておきたいものです。
日頃感じている問題意識を、もう少し列挙してみましょう。
結果や批評を並べるだけで、その理由・根拠・経緯が何であるのか、主語は誰なのかなど、本質を理解するための肝心なピースが省かれていることです。一見分かり易いと思われがちですが、それが落とし穴なのです。身の回りに、いくつも転がっていると感じています。誰とは申しませんが、品のなさを露呈している場面に出会うこともあります。
都合のいい一面だけをことさら強調して、分かり易く見せかけていると感じることも多いような気がします。聞きかじりの出来事への安易な賛否や評論には、うんざりさせられます。
聞きなれた言葉で分かり易いけれども、中身が希薄という表現もありますね。具体性に欠ける当たり障りのない表現は、不勉強であること、自らが考えていないことの表れです。少しでも気になる場合は、本意を引き出すための質問を繰り返すことにしております。多くの場合、綻びが出てきますね。
ネット検索で情報を直ぐに引き出すことが可能になりました。その真偽を調べて検証することをしないステレオタイプもかなりあります。先ず、その情報が正しいのかどうか判断しなければいけません。そのような行為がニセ情報の垂れ流しになるかもしれない、そんな想像力・感受性も退化してしまうでしょう。
ネット販売が盛んです。心地良い言葉に誘われて購入し、期待はずれにガッカリしたことはありませんか。“今だけ何と○○引き。さらに、……”、半額セールの連発、…。“だったら、最初から半額を正価として売り出して頂きたい… ”と言いたくなります。理解し難い専門用語、略語、外国語の連発、それも早口でまくしたてられては、聞き流すしかありません。全てがそうだとは申しませんが、売上至上主義、利益第一主義の権化に見えてきます。
以上、私が感じている問題意識のいくつかを取りあげました。
気づいて頂きたいことは、前回の便利さにも、今回の分かり易さにも、罠が潜んでいるということです。落とし穴が存在している可能性があるということです。もう一つは、どのような表現にしようとも、受け取る側の理解と評価は十人十色であるということが挙げられます。例えば、エッセイの問題提起や提案が何であれ、“それはあなたの考え方であって、自己満足に過ぎない”、“文言が多過ぎて読む気がしない”、と評価する人もいらっしゃるということです。
そのようないくつもの着眼点を前提として、分かり易さ、心地良さのメリット・デメリット、功罪を念頭に置いて最終判断して対処しましょう、ということです。“分かり易く見せることで終わっていないか?”、“表面上の良いとこ取りで終わっていないか?”、自戒しながら呟き続けたいと思います。本質を理解するまでには、自力で考える時間が必要です。熟成という言葉があります。熟すまでには、それ相応の時間が必要なのです。 “キチンと向き合って、あれこれ考えて思いを巡らし、意思決定すること”が生き方の基本でありたいと思います。
(2019.5.30記)