エッセイ188:あれがあったから今がある~私の人生のターニングポイント

投稿日:2019年7月4日

 中田薬局の平成31年度新卒新入社員導入研修が、明後日にスタートします。4月1日(月)から新卒薬剤師が仲間入りするのです。昨年度入社の薬剤師2名と同じように、弊社を自分の耳目で確かめて、日々の活動姿勢と活動実態に共鳴して入社してくれました。中田薬局での保険薬剤師の道を選択して頂いたのです。責任をもって、一人前のプロフェッションへと導く所存でおります。“共に”の姿勢で、成長し合いたいのです。導入研修については、今後のエッセイで取りあげたいと考えております。
 第180回のエッセイは、確信をもって言い切れる私の人生のターニングポイントを呟いてみましょう。“今だからこそ言い切れる確信”と表現した方が、より的を得ている気もします。

あれがあったから今がある~私の人生のターニングポイント 
 
 ターニングポイント。……… 人生における分岐点と解釈すれば、何度もあることではないように思います。過去のエッセイでは、何度かターニングポイントという表現を使いました。今回は、私が産声を上げてからの72年間を振り返り、私の人生の転換点のきっかけとなった出来事を、数の多少にとらわれないで掬い上げてみたいと思います。
 先ずは、18歳目前の高校3年次夏休み前のことから始めましょう。大学進学を決意し、それも住み慣れた実家を離れて一人暮らしを選択したことが、最初のターニングポイントになります。首都圏の3大学3学部を受験しました。唯一合格した東京薬科大学男子部薬学科に入学し、高校の先輩に誘われるまま東京薬科大学合唱団に入部しました。気がつけば部活動に熱中し、その4年間の出来事や体験が人事教育担当のDNAになっていると気づいたのは、卒後20年近く経ってからになります。当時は、苦悩、悲哀、行き詰まりによる失速など初心の溜まり場でした。その要因の最たるものが、私自身の内面の未熟さや無能さでした。そのことを、年を重ねて素直に認められるようになったことで、どうあれば良いのかが見えてきたのです。働きかけるコミュニケーションなどの行動力、積極性、積み重ねの重要性、等々…。
 二つ目は、30歳目前の5月でした。薬剤師の道を切り上げて、日用品・香粧品卸売業I社への転職を決めてUターンしたのです。様々な対人関係の実態(特に難しさ)を見聞きし、経験させられました。今で言うパワハラ、アルハラもあって、相手の立場に立つことの必然性を身に染みて感じた10年間でした。“やられて嫌なことは絶対NG”ということは、この時期に芽生えたと思います。
 その後、同業他社との合併があって、新会社に新設された教育部門の専任責任者に任命されたのです。勤務地は仙台で、39歳での単身赴任となりました。これが三つ目のターニングポイントになります。13年間従事した人事教育部門での活動実績、その間に培った理念や考え方が、採用担当者つぶやきエッセイとEDUCOの森の素材になっています。
 もう一つのターニングポイントは54歳の時になります。24年間勤務したK社を早期定年退職して、第三の人生を選択したことです。転職理由はいくつかありましたが、以来岩手、千葉、福島の5社で主に社員教育・人材育成・採用の仕事に携わりました。ドラッグストア2社、調剤薬局チェーン3社が内訳になります。途中、66歳で手術入院(9日間)をし、約2か月間のリハビリも経験しました。その2か月半は、患者の眼で医療の実態を知り考える機会となり、教育担当としての引き出しが増えたと実感しております。
 上記の四つの出来事を人生の分岐点と判断した理由は、その時々の事情や状況によって異なります。全て私自身の判断で最終決定したのですが、私の思いや志だけで決められたわけでもありません。転職するたびに、どの企業においても眼の前の新たな環境への対応に精一杯の状態でした。社員一人ひとりの顔を知ることから始まります。組織のあり方、意思決定方法、仕事の進め方、権限の委譲度合い、社内の人間関係など、各社それぞれ大きく異なります。特に54歳以降から転職した企業は、経営者自身の考えが色濃く反映されていました。さらに、その実態は5社5様ですから馴染む苦労がありました。入社前に経営者の考えを把握できれば良いのですが、不可能に近いのが実態です。入社直後に私の見当違いに気づき、悔しさと情けなさを感じた転職が複数あったことも事実です。現在は5社目の中田薬局(岩手県釜石市)でお世話になり9年目に入っております。

 さて、古希を過ぎて精神的に余裕が持てるようになり、より客観的な姿勢で私の人生の因果関係の検証ができるようになりました。“あれがあったから今がある”、“あれのおかげで今がある”と思えることが、いくつか出てきたのです。“今を結果とすれば、あの時のあれが原因だった”とつくづく感じることです。本来であれば、四つのターニングポイントの中身を詳しく取り上げたいのですが、かなりの紙面を割くことになります。その実情の一端はエッセイ146回と148回に譲って、ここでは現時点で特に思いの強いあの時の様子を紡ぎ出してみたいと思います。第三の人生と位置づけている54歳以降の転職に関してです。
 仙台での10数年間は、部門責任者として部下を指導し、ある時から取締役として会社全体をコントルールする立場にありました。転職後は、何事も全て一人でやらなければければならなくなったのです。掃除、準備、資料作成を始めとして、私自身が一から十まで行動しなければ一歩たりとも前へは進みません。手始めにパソコンを購入しました。添付手引書と睨めっこして、最初の設定から自力でやり始めたのです。覚悟はしておりましたが、何から何まで覚束ないフラフラ状態でのスタートでしたね。ICT操作能力はゼロに近かったことから、Wordの文書作成技術の修得のために、朝から晩まで毎日毎日教材の作成に没頭したことは忘れられません。何とかWordの基本をマスターして、第一ハードルを突破するまでに3か月は要したと思います。
 54歳からの転職経験を通して、分かってきたことがあります。それらが今回のエッセイで強調したいことであり、核心部分になりそうな気がします。そのいくつかを紹介しましょう。

 企業内教育の仕事を担当するようになって、私自身の心構えの中心に据えていることがあります。それは、『人は一人では生きていけません。これまでにどれだけの方々のお世話になったことか。多くの人のおかげで今があります。それは相見互いなのです。このことを忘れてはいけません』という内容です。その人間観を受けて40歳代前半から言い続けている、“だから、相手の立場に立って考えること”の必然性や意味を、54歳からの転職で強く感じるようになりました。教育担当に従事してから14年を経て、身に染みて実感できたのです。以来、相手の立場に立つことの必然性や意味について、ただ文言を読みあげるのではなく、心を籠めて問いかけられるようになりました。相手:自分=51>49は、その過程で辿り着いた私なりの見解です。それからは、共育姿勢と傾聴を土台にしたコミュニケーションの頻度が、明らかに増したと思います。私の志向するグルグル回りの応答の対話による進め方が、かなりの幅を利かせるようになりました。
 20年近く関わっておりますドラッグストアそして調剤薬局は、30年以上も右肩上がりの成長を続けて現在に至っております。その多くはオーナー経営者の強いリーダーシップによって急成長を遂げている分、成長度に見合った組織運営が追いついていないという問題が散見できます。一方通行のトップダウン傾向にありますから、社内の風通しが好ましい状態には成り難いのです。一所懸命考えて提案しても、なかなか受け入れてもらえません。結果的には、従属的依存意識が支配する風土ができあがります。恐ろしいのは、社会の健全な常識とのズレが蓄積することです。もっと怖いのは、そのような実態に気づかないまま、独りよがりの考え方が身についてしまうことです。企業理念や方針が立派であっても、ガバナンスの実態が相反していては、退職するしか道が無くなってしまいます。そんな理由からの再転職を何度か繰り返しましたが、一方では諸事情で転職できずに我慢をしながら会社を支えている方々もいらっしゃいました。そんな現実から目をそらすことは戒めなければいけません。得難い貴重な経験をしたと強く思います。
 私が転職活動をする場合、採用面接段階で経営者に必ずお伺いすることがあります。一つは、経営者自身の理念とビジョンです。会社設立の経緯、現状の問題点と課題についても質問します。もう一つは、入社後の私自身に期待する具体的な使命と待遇です。曖昧な対応をされることがほとんどでしたし、はぐらかされたと感じることだってありました。しかし、意を決しての転職ですから、お伺いする理由を添えて質問を繰り返しております。それまでの人事の仕事を通して、入社後のミスマッチを何度も見聞きしていることも影響しています。現実、入社したその日にミスマッチと感じたことがありました。数か月後に面接での約束を反故にされたこともありました。年齢からして遅すぎた気もしますが、ある時から後ろ向きの思いを裏返して陽転思考で総括するようにしたのです。相手のせいにするのではなく、自律要因に目を向けて、私自身の観察力・洞察力の拙さが原因であることを認識したうえで、正面から正攻法(採用面接での経営者への質問)で対処することにしたのです。
 いくつかの企業で仕事をしながら、こんなことも感じました。ほとんどが無意識で悪意はないのでしょうが、企業の壁に寄りかかっている方が多いということです。さらに気になるのが、先ほども触れました“所属企業の常識=世間の常識”という構図の存在です。倫理的規範に鈍感な感じもします。大きな企業に勤務されたベテランで、かなりの業績を上げられた方に見受けられます。そんな姿を見苦しいと感じたことから、それまでの常識は疑って考え直すことにしております。これも転職したからこそ気づいたことです。

 四つのターニングポイントで紙面を割いたうえ、話が彼方此方へと飛び火をしてしまったようです。エッセイ188回の目的は、ターニングポイントから得られたものを描き出すことでした。私にとっての貴重な賜り物を、きちんと整理をしてまとめたいと思います。
 私の成長が実感できていることの一つは、状況に応じた対応を淡々と実践していることです。思い立ったらせっかちなタイプですが、その時々の実態を把握しながら待つことができる様になったのです。私自身、非常にびっくりしています。以前から意識して続けている早期着手との相乗効果で、徒労に終わる回数が少なくなりました。余計なストレスを感じることなく、(今どきの言い方になりますが)楽しんで仕事をしております。
 こんなことも理解し納得できるようになりました。“短所・欠点は長所の裏返しであり、長所は短所・欠点の裏返しになる”ということです。引っ込み思案で消極的という欠点は、誰よりも相手の話に耳を貸している長所と思うようになりました。傾聴力を磨き高めてくれたと実感しております。また、人知れず努力することを厭わない長所に誘導してくれたのです。最後までやり通す持続力を養ってくれたとも想像しております。さらに、これらの体験は、私の考動指針を見直す格好のチャンスとなったと思っています。
 54歳からの第三の人生も18年になりました。着眼点や引き出しが格段に増えたと実感しております。より柔軟な見方や考え方で、問題や課題と向き合えるようになりました。本質的側面が以前よりも見えるようになり、ぶれることなく余裕をもった行動がとれるようになったと思います。その結果として、ようやく“真の自立とは何か”ということが理解できたような気がします。これらの認識は、大学卒業から30歳代までは考えられなかったことです。それ以上に、今も仕事を続けていられるのは、それまでの数々のプロセスがあったからだと感謝の念に堪えません。改めて意を強くしていることは、謙虚に学び続けること、コツコツ努力し続けること、小さな成功例を積み重ねることだと思います。私のような引っ込み思案で消極的、不器用で対人関係能力が稚拙な方の生き方の参考になりましたら幸いです。
                                                   (2019.3.25記)

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