エッセイ183:この道はいつか来た道~人のふり見て我がふり直せ

投稿日:2019年4月20日

 北原白秋(詩人:1885年~1942年)をご存じない方はいらっしゃらないでしょう。「からたちの花」を始めとして「ペチカ」「あめふり」「あわて床屋」「柳河風俗詩」など、数多くの詩が愛唱歌として作曲され、そして合唱曲として作曲・編曲されており、学生時代に好んでハモった(合唱した)思い出があります。とりわけ馴染みが深いのは、「からたちの花」と「この道」、そして「柳河風俗詩」でしょうか。最近は“この道は、いつか来た道”という件(くだり)が、脳裏を行き来することがあります。恐れ多いような気もしますが、その理由を呟いてみたいと思います。

この道はいつか来た道~人のふり見て我がふり直せ

 新年度の4月になると、次のようなマスコミ記事を目にすることがあります。「新社会人さん、ここに気を付けましょう」ランキングです。ランクインされる項目は、挨拶、言葉遣い、仕事の進め方の基本、積極性などの行動姿勢・取組姿勢に関することがほとんどです。報道されるまでもなく、新入社員の配属先において、先輩諸氏の似たような批評を耳にします。私が社会人になってからの50年間、言い方は違えども聞かされ続けている表現があります。“最近の若者は、……… が出来ていない”、“今年の新入社員は、……. に問題がある”などです。先ほど紹介した「新社会人さん、ここに… 」ランキングと、その内容は変わりありません。それらの発言は、経験を積んだ先輩の成長した証であり、その位のことが言えて当然だと思うのですが……。
 このようなこともあります。仕事遂行能力がレベルアップして、所属組織での存在価値が高まってくると、上司や組織運営に対する不満や批評を口外するようになることです。それだけ実力が高まった証拠ですから、そのこと自体に苦言は呈しませんが、チョッピリ考えさせられることがあります。その方々が、批評した上司の後釜として同じ職責を背負った時に、部下や後輩から同じような不満や批評を浴びてしまうことです。かなりの頻度で見てきました。そのような壁を乗り越えて成長するのが人生ですから、謙虚な姿勢で対処することを願うばかりです
 取りあげたケースをウォッチしながら、次のような天の声が聞こえてくるのです。“ちょっと待ってよ。そういうあなたが新社会人だった当時はどうなのよ?”、“あなたが抱いていた同じ不満を、あなたの部下に感じさせていませんか?”という素直でストレートな声です。
 私はある時、それと同じような実態の自分の姿を恥じたことがあります。正に、“人のふり見て我がふり直せ”であり、“新人たちが歩んでいる道をあなたも歩んでいませんでしたか?”という自問なのです。“実は、私もそうだった”と謙虚に自覚することで、発する言葉の中身を考えるようになるのです。裏表の見解を併せ持って接することで、それまでと異なる物語が描かれていくのです。この道はいつか来た道であり、ほんの一時心に赤信号を灯して立ち止まって我が身をふり直し、後輩たちと共に考える大人でありたいと思うようになりました。 
 “人のふり見て我がふり直せ”とは、他人の言動の善悪を見て、自分自身の言動を反省して、改めるべきは改めなさい、という教えです。新社会人や中堅クラスの後輩の歩く未熟な道は、私自身がいつか来た道であり、場合によってはいつか通る道なのです。そのことを前提として、人のふりを見たなら、先ず我をふり直して歩んでいくべきだと思います。
 何年も前から、人生経験を積み重ねた中高年や高齢者の目を覆いたくなる行動、耳を塞ぎたくなる言動には、ガッカリさせられるだけではなく、胸が痛くなるほどのことが起きています。社会を背負って立つ真面目な若人に申し訳なく思います。幾つになっても不完全であることに変わりはありませんが、「さすが人生経験豊かな先輩…」と言われる日常を目指したいと思います。イヤなものを見聞きしたら、「この道」(作詞・北原白秋/作曲・山田耕筰)を口ずさんで、穏やかな心で我が身をふり直したいと思います。
                                                  
                                      (2019.2.4記)

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