私事で恐縮です。
私の家族にとって、12月は年間最大のプレゼント月間となります。誕生日3名、クリスマス2名+数名、その他いくつかのお振舞いと、財布の紐が緩んだまま年を越すことになります。それぞれに喜んで頂くためには、時々の情報収集と収集情報をベースとした想像力の出番になります。実は、私にはそれ以上に強い思い入れがあります。一人ひとりの顔と表情と心根に思いを馳せることです。一人ひとりが小さな幸せを持ち続けられることを願うことです。あれこれ思いを巡らすことで、脳の回転が滑らかになることを頑なに信じながら、それ以上に楽しむことを忘れない毎年の行事となりました。そんな(私にとって一番)贅沢な時間が持てることに、今年も感謝しております。当たり前の感覚で、自然体で感謝できるようになりました。
平成29年の締めは、“入社1年間で定着させたい「新・23の行動習慣」”の中から、いくつかの項目を取りあげて、その意図するところを呟いてみたいと思います。本質を理解して頂くことで、行動し易くすることが主目的です。今回は、その一回目となります。
もっと知りたい“入社1年間で定着させたい「新・23の行動習慣」”その1
日々の生活は挨拶で始まります。それぞれのステージに即した挨拶言葉で始まります。その挨拶が相手の警戒心や心の壁を溶かしてくれることは、世の中がいかに変化しようとも不易ではないでしょうか。私はそう思います。仕事も人間関係も、挨拶抜きでは円滑に進まないということです。挨拶こそが、信頼と安心のコミュニケーション実現の必須要件なのだと思います。挨拶無しには、世の中立ち行きませんね。
その不易の当たり前である挨拶を、入社1年間で定着させたい行動習慣のトップに持ってきました。自筆のお礼状も含めて3項目です。それにしても、挨拶の空気感が希薄になってしまったように思います。徐々に、徐々に ……。いやそれ以上に、挨拶そのものが蔑ろにされていると感じることが多くなりました。そう感じるのは私だけでしょうか……。
解説する前に、改めて挨拶に関して復習しておきましょう。
“挨拶”というのは、仏教用語からきた言葉だそです。“挨”は、軽く触れることで、「近づく、ひらく」という意味です。一方“拶”は、強く触れることで、「切り込んでいく、引き出す」という意味になります。そうすることで「私は、あなたに対して敵意がありません」という自己宣言証明書を発行していることを意味しているように感じます。
日常社会において、公私を問わず「人と会った時や別れる時にやりとりする社交的な言葉や動作」を、挨拶と解釈されていると思います。しかし、語源を調べてみますと、上述したように「挨拶を交わす相手の心をおし開く」という意味が含まれています。事実、挨拶を交わした後は、親近感が湧いて、どこか爽やかな気持ちになるものです。ことに朝の挨拶は、その日一日「どうか宜しくお願いいたします」という気分にさせられます。人間関係の原点は、“礼に始まって、礼に終る”とも言われます。“礼の代表選手は何か?”と問われれば、 “あいさつ(挨拶)”をおいて他にありませんね。人間関係は、挨拶から始まるのです。
元来、人は誰でも自分の存在を他の人に認めてもらいたいという欲求を持っています。挨拶を交わす行為は、自分の存在を他の人に認めてもらうと同時に、自分も相手の存在を認めているというサインなのです。このサインを送らずに、お互いの存在を認め合わなければ、そこに摩擦が生じることはないにしても、決して良好な人間関係を築くまでには至らないでしょう。そうなれば、お互いの仕事を円滑に進めることもできなくなってしまいます。ですから、職場では、キチンとした挨拶ができるということがとても大切なのです。挨拶はビジネス活動の潤滑油、とも言われています。「挨拶ぐらい、今までだってやってきた」と思われるかもしれませんが、ここでもう一度、その意味を十分理解して、状況に応じた挨拶がしっかりできているのか、どれだけ実践しているのかを、虚心坦懐に振り返って頂きたいと思います。
それでは、各項目の解説に移りましょう。
『1.ニッコリ・テキパキ“ハイオアシス”を言う習慣』
『2.だれかれの区別なく、キチンとした挨拶を言う習慣』
先ず、質問です。“ハイオアシス”をご存知でしょうか?
ハ:はい、いいえ
イ:いらっしゃいませ
オ:お早うございます(お世話様です。お蔭様です)
ア:有難うございます
シ:失礼いたします
ス:すみません
代表的な挨拶用語の頭文字を並べて表現したもので、何度も取りあげ続けている挨拶の基本中の基本です。日常、頻繁に使われるべき挨拶用語ばかりですね。ニッコリを添えた“ハイオアシス”は、相手に対して“心のオアシス”を提供していることを、どなたも実感されたことがあると思います。流通業界においては、企業の垣根を超えた基本用語でした。今でも変わっていないようです。
ニッコリ・テキパキの反対は、ムッツリ・グズグズになりましょうか。挨拶とは“心を啓いて相手に向かう”ことですから、“あなたを認めています”という暗黙のサインになります。ニッコリ・テキパキが一番お似合いでしょう。
もう一つ大切なことがあります。それは、人を選ばないでニッコリ・テキパキ“ハイオアシス”を実践するということです。相手がどなたであろうとも、いつでもどこでもニッコリ・テキパキ“ハイオアシス”といことです。会社の上司やお偉いさんに対しては、ニッコリ・テキパキだけれども、部下やお取引先様の場合は、挨拶しなかったり、挨拶したとしても心がこもっていなかったりでは、その方の品位が見抜かれてしまいます。そういったケースは、想っている以上に多いように感じています。
挨拶をはじめとしたビジネスマナーの基本は、“心”(おもてなし)と“型”(正しいやり方)の両方が、当たり前にできることです。無礼・虚礼は礼に非ず、ということになりますね。
『3.心を込めた自筆のお礼状を出す習慣』
皆さん、毎年恒例の年賀状は、どのような様式にされていますか?一番多いのが、印刷した年賀状でしょうか。印刷は、パソコンを駆使してあれこれと工夫したものが主流になりました。そのことに全く異論はありませんが …… 。
やはり、一言で良いから自筆の言葉が欲しいですね。年賀状を出す相手の方は、少なからず恩義を感じていらっしゃる方、親近感のある方が多いのではないでしょうか。だからこそ、お礼や感謝の言葉、近況報告などを一筆啓上するのが、最低限の礼儀のような気がします。時代がいかに変わろうとも、“不易の人としての道”だと思います。何年も前から、年賀状は虚礼廃止の対象とされる場合が多くなりました。時流に逆らわないで私もそうしようかと思いつつ、簡単に割り切るものでもありませんから、断捨離が難しいのも現実かもしれません。
もう一つ、人間は一年間を振り返ってみて、誰かに助けられたということが必ずあると思います。そんな時、どのような対応をされていらっしゃいますか。たまには、わざわざ時間を割いて、自分の思いを文字にして、相手に届けてみてはいかがでしょうか! 自筆でなくも構いませんから、心を籠めて丁寧で誠意が伝わる文言で表現することです。品格が1センチ以上は伸びていることでしょう。
以上のような小さな自分運動を繰り返していくと、自分自身の人間性や心構えが磨かれていくように感じてきます。その実感こそが持続力の原点になると思えるのです。ある国には、こんな諺があるそうです。“礼儀は受け取る側より、支払う側を豊かにする貨幣である”と。
(2017.12.10記)