明けましておめでとうございます。少しずつではありますが、本質を意識した木を植え続けております。今後ともお付き合いのほど宜しくお願い申しあげます。
昨年の強調テーマは「心構えが変われば言動に表れる。言葉と態度が変わる」でした。我が身を振り返る時の指針として、常に心に留めておかなければいけないテーマです。新年を迎えて、改めてそう感じております。年初のエッセイは、つくづく想うことをつぶやきながら、今年の強調テーマを考えたいと思います。
年を重ねても知らないことがイッパイありますね。だから…
先ず、日常よく使われます「初心」の意味から復習してみましょう。
室町時代初期の能役者・能楽師である世阿弥をご存知でしょうか。「初心」とは、世阿弥が遺した言葉です。「自分の芸が未熟であった時のことを、いつまでも忘れるな」という、人気が先行して勘違いしている(実は未熟な)若い役者に対する戒めの言葉なのです。それが本来の意味になります。
20数年前に遡りましょうか。私自身の未熟さを思い知らされて、心構えを正すしか道がないと示唆してくれた出会いがありました。堀切和雅さんの著書「三〇代が読んだ『わだつみ』」(1993年7月初版発行・築地書館)の“あとがき”の中の一文です。その一部を紹介しましょう。
『そして、さまざまな年齢で戦争の体験をして来た方たちに対して、繁栄の時代のわれわれがいかに冷淡で無関心だったかということに今さらながら気づかされ、胸塞がるる思いです。人間は幾つになっても、「自分の知らないことがある」ことぐらい、知っていなければいけませんね。』
いくら努力しても、この世の中のことで知らないことが果てしなく存在します。未知なるものが、天を突き抜けるほどイッパイあるのです。徹夜して学び続けても追いつかないほど、知らないことの方が圧倒的に多いのです。年を重ねる毎に、20数年前に感じた未熟さは、切実感が増幅しております。だからでしょうか、一瞬であっても、日に一回は、学ぶことの飢餓心が起きてきます。「まだまだ知らないことがイッパイあるなあ。だから、もっと勉強しなければ恥ずかしいなあ。もっと事実を調べなければいけないなあ。もっともっと歴史や先人から学ばなければいけないなあ」と。勉強する、調べる、学ぶという行為は、“知らないことが山ほどイッパイあることを、謙虚に認めた上でスタートするべきものだ”と、つくづく感じております。
遅過ぎたかも知れませんが、還暦を迎えたあたりから、物事や自分自身を客観視出来るようになってきました。物事の本質を意識するようになりました。謙虚や真摯という言葉が、心構えのど真ん中に座るようになりました。それ以来、“謙虚な姿勢と真摯な態度は、私の生涯の行動指針の原点”と言い聞かせております。驕ることなく、隠すことなく、卑屈になることなく、等身大の自分を素直に認めながら、楽しんで学ぶ続けようと思うに至りました。この考え方は、仕事はもちろん、日常生活でも、コミュニケーションを含めた対人関係でも、人生全てに相通じる行動指針だと思います。この考え方を前提として対処すれば、目の前の景色が違ってきます。“希望という景色が消え失せることはない”と思えてきます。残念ではありますが、最近の世の中の出来事を睨みながら、相当する言葉が発せられていても、その行動姿勢や態度には、謙虚さも真摯さも感じられないことが多発しています。そんな空気に染まることなく、これからも『謙虚&真摯』の四文字を心に刻んで、一生学ぶ人であり続けることを追求したいと思います。
「人間どれだけ年を重ねても、自分の知らないことがイッパイあることを、しっかり自覚しておかなければいけませんネ。その上で、日々謙虚に真摯に学ばなければいけません。学ぶことに無駄はありません。無駄な勉強なんてないのですから」
明日4日は、私の仕事始めになります。
(2018.1.3記)